夏の背中

書く気力がなかなか沸かなくて、随分ご無沙汰になっていました。
体の方は夏バテなどにはならず何とかこの夏を乗り切れそうですが、頭の方がちょっと夏バテ気味かもしれません。

気候の方はというと、お盆を過ぎて一気に夏の暑さが和らぎました。秋の気配を感じます。特に朝と夕方から夜にかけてはもう扇風機もいらなくなりました。
夏も終わっていくんですね…。

夏は嫌いですが、風がほんのり冷たくなってきて夏が背中を見せ始めると、やっぱり切なくなりますね。どうして切なくなるのかわかりませんが、季節が夏から秋に変わりゆくこの短い期間は、たまらなく愛おしく感じてしまいます。

今日は、仕事帰りに神社に寄ってみました。
夏に入ってから、それまで帰りは歩きだったのをバスに変えたのですが(暑すぎるので)、もうそろそろ歩いてもいいかな、と思い久しぶりに歩いて帰ったんです。のんびり歩きながら、帰り道の途中にある神社にふらりと入ってしまいました。

入った瞬間、別世界に迷い込んだような気分になりました。
見上げても空が隠れて見えないほど木々が生い茂っていて、空気はとてもひんやり。
聞こえる音というと蝉の鳴き声くらい。でもその鳴き声もうるさく感じないんです。逆に心地いいくらいで。
心地よい風と音に包まれて、火照った心も静かに落ち着いていきました。5分もいなかったんですが、大げさな表現ですけど夢のような時間でした。

最近遠出もしてなくて、ただ夏の暑さと都会の喧噪に揉まれるだけの生活でした。
もちろん、映画を観たり、オリンピック観戦したりで楽しい時間も過ごせましたけど、それだけでは解消できないものがあるんですね。私の心にとって、“自然”に影響される部分はやはり大きい…そのことを改めて感じたところでした。

周りの騒々しさに自分を見失っていた気がします。身近に心を落ち着ける場所があっったのに、素通りしていました。下ばかり向いていたのかもしれません。
今日歩いてみようと思ったのは、涼しくなったからという理由だけではないんです。
職場を出てふと目に入った空が、ほんの少し黄色く色づいているのを見て「きれいな夕焼け空が見れるかもしれない」と思ったからでもあるんです。
職場を出たのが6時過ぎで、日の入りにはまだ少し時間があったようで期待していた夕焼けは見ることができなかったのですが、かわりに神社での時間を過ごすことができました。

暑さと疲れを理由に、大好きな自然から目をそらしていました。
そういえば大阪にいる頃などは、夏でも周りの自然にいつも目を向けていました。もちろん、身近に自然が溢れていたからでもあるのですが、周りの環境の違いだけが理由ではないかもしれません。
心も年をとってしまったのかなあ…。年をとると体が動きにくくなってしまうように、心も動かなくなってしまうのかも。

こんなことを言うと、私よりずっと年上の方々からお叱りを受けるんですけどね(笑)。でも、感じてしまうことなんですよね…。確実に私は年を重ねているわけですから。今の年齢が何歳であるかなど関係なく。

久しぶりの日記はしんみりとなってしまいました。今にも涙が出そうなんですが、不思議と気分は穏やかです。完全に矛盾してますが(笑)、夏と秋の境目である今と似ていますかね…。
愛おしいこの短い時間、完全に秋になってしまうまで、大切に味わいたいものです。

2 comments to “夏の背中”
  1. 神社って紛れもなく別世界ですよね。云われてみると、どこの神社も癒しの風と音がある…。ひょっとしたら、あの神社の感覚は日本に住む人たちの遺伝子に刻まれている風景なのかなぁと思いをめぐらせながら拝読しました。
    って、大袈裟に感じるかも知れませんけど、この記事の文章そのものも非常に味わい深かったです。嫉妬心をおぼえるぐらいに(笑
    《夏が背中を見せている》という表現は、読む者にハッという新鮮な驚きと、美しさを感じました。こーゆーフレーズは熟練した俳句の先生でも絶賛するんじゃないかちら。。。
    実際には5分足らずの気まぐれであったかも知れませんが、色々と伝わってきました。早いもので五輪が終わると、台風の季節になるんですね。

  2. >メロンぱんちさん
    日本人の遺伝子に刻まれている…そうかもしれませんね。
    神社で感じるあの気持ちって、理屈や言葉では正確には言い表せないですよね。本当に遺伝子レベルで感じるものがあるのかも。
    そういえばもうすぐ台風の季節ですね~。
    福岡にはどれくらい台風が訪れるのかしら…ドキドキ。

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