『おくりびと』

いや~、いい映画を観させてもらいました。久しぶりに心の洗われるような映画に出会ったように思います。

本木雅弘主演、広末涼子、山崎努、余貴美子共演の今作品。ひょうんなことから納棺師(亡くなった人々に化粧等を施し納棺する職業)になったある男性の物語を描いた作品ですが、想像していたよりずっと良い作品でした。
「死」という、説教臭くなりがちなテーマを扱っていながら(「死」→「命の大切さ」と結びつけられがちですよね)、決して押しつけがましいところはありませんでした。納棺師という仕事を始め、最初は戸惑いながらも仕事にやりがいを見つけていく主人公(もっくん)と周りの人達、そしてもっくんに納棺される人々(とその家族)の悲喜こもごもを丁寧に描いていました。

久石譲の胸に染み入るメロディーに乗って、1つの人生を終え旅立つ人々、彼らを送る人々、その様子がただ淡々と山形(田舎)の美しい風景とともに流れていきます。
そこにあるのは「死」の恐怖であったり、「命とは何ぞや」なんて堅苦しいテーマではない。そこにいるすべての人々の「人生」、ただそれのみでした。

「死」でもなく「生」でもなく、「人生」とは何なのか……それを考えさせられました。私自身の人生、私の家族の人生、私の好きな人、嫌いな人、私が今まで関わってきた人達の人生。

「人生」って何だろう?
「人」が「生きる」こと?
「人」の「生きる道」?「生きてきた道」?

あれこれ考えても答えは出ず。
ただ気付いたことは、「生」の前に「人」がつくこと、そこにとても大きな意味があること。私の「人生」でも、その「人」に含まれるのは私だけではないこと。
そして「人生」には、決して他人にはわからない、その道を生きてきた本人にしかわからない苦悩が隠されていること、でした。

当たり前のことだけれど、私たちは目の前にいる人々が生きてきた道やその苦悩などあまり深く考えなくて、自分の苦悩だけを主張しがちだったりする。でも1人1人、他人には決して想像のつかない”何か”を抱えている。

納棺に訪れる先々で、主人公は様々な人生に出会うわけですが、その表面にしか触れることはできない。彼を取り巻く人々の人生についても、主人公は(そして観客である私たちも)、ほんの少ししかわからない。

……それがすごくもどかしいんです。特に納棺会社の社長である山崎努と事務員の余貴美子が見せる表情には、本当にやられました。いつもはのほほんとしている2人がある時に見せた(これは映画を観てのお楽しみ)、これまでの苦悩を一気に(しかしほんの一瞬)吹き出したような表情。「今まで何があったんだー!!どんな人生送ってきたんだー!!」とスクリーンに向かって叫びたいくらいでした。

しかし、そのもどかしさと同時に感じたのは、私たちが見る他人の人生などほんの一部にしか過ぎないこと。多くの人々が背負っている苦悩を表に出すことなく、日々の生活を送っていること。そして普段の表情に隠されたその苦悩に、私たちはいかに無関心であるか、でした。
自分の生活に精一杯で、自分が思っている以上に私は他人に無関心なんだな、と感じました。思いやり……特に身近な人への思いやりに欠けるかな、とも。

無関心であることが間違っているとは思いません。皆、自分の人生に一生懸命なのは当たり前だから。ただ、そうやって一生懸命に生きている多くの人々の人生が、自分の人生にも関わっていることに、ちょっとした恐ろしさを感じました。
うまく言葉に出来ませんが、「人生」という言葉のもつ重さと深さに気付かされた作品でした。

一緒に見に行った方(齢40)は自分の両親のことを考え「他人事ではない」と思いながら観ていたようです。私は、幼い頃愛人と逃げたという父親に憎しみを抱く主人公の姿に、自分と父親の関係を思い胸が苦しくなりました。

観客1人1人が、それぞれの人生を見つめ直さずにはいられなくなる映画だと思います。
しかし、決して肩肘張って観るような映画ではなく、2時間20分という長めの時間もあっという間に過ぎていきました。チェロの美しい旋律とともに、心の奥にゆっくりと静かに染みこんできます。
それと、もっくんをはじめとする出演者の演技も素晴らしいです。誰か1人欠けていたら、この作品は成り立たなかったのではないかというくらい。1人1人の表情に引き込まれます。

人恋しくなるこの季節、大切な人と観に行かれてみてはいかがでしょうか。

2 Comments
  1. 結構、死を見つめる事で、その生前の「人生」にスポットがあたるという感じでしょか。
    邦画は不思議な事に「現代人の死」に方向性が向っているような気がします。「お葬式」だったり、「寝ずの番」だったり、結構、挑戦する方が多い中、「おくりびと」は好評なようですね。
    納棺に立ち会った経験があります。記録的な暑さの日、庭先から棺桶を運び入れ、ドライアイスを敷いてあったのかな。
    死者は拭いたり清めたりして体裁を整え…。意外と日常では遭遇しないものだな、と。そして確かに、その様子に触れ合うと、生前の故人の人生を思いますし、「自分が死んだときにもこうなるのだろうか」なんて考えるものかも。

  2. >メロンぱんちさん
    それまでの人生があるからこそ、「死」が悲しいものであったり尊いものであったりするんですよね。「死」そのものには特に意味なんてないのでは、と思いました。
    「死」を見つめれば見つめるほど見えてくるのは「生」。それもただの生ではなく、「人」の「生」。
    人として生まれ、生き、死んでいけることの喜びに気付かせてくれました。
    日本でしか撮れないかも、とも思いました。邦画も良いですね。

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