谷崎潤一郎『蓼喰う虫』~人間って贅沢な生き物~

先日、ふと谷崎潤一郎が読みたくなって、本屋へ行きました。

谷崎潤一郎はそんなに詳しいわけではなく、今までに読んだことがあるのは『春琴抄』と『細雪』のみ。他に知っている作品といえば『痴人の愛』くらい。何故読みたくなったのかはよくわかりませんでした。
本当に、ただ「なんとなく」という理由でした。

文庫コーナーにて、どれにしようか迷いながら何冊か表紙裏の作品紹介を読んで、決めたのは『蓼喰う虫』。
その紹介をご紹介すると…(これくらいの引用はいいよね?)

性的不調和が原因で夫婦了解のもとに妻は新しい恋人と交際し、夫は売笑婦のもとに行きながら、”蓼喰う虫も好きずき”の諦念に達して互いにいたわりあいつつ別れる時機を待つ――。(省略)発表当時「海草が妖しく交錯する海底の世界を覗く思い」と評された。

この文章から、平穏な気持ちで読めそうだと思い、これを手に取りました。
何となく後味は悪くなさそうに思えたんです。今の情緒の状態から、あまり心を乱されるものは読みたくなく…。

本屋を出た後、コーヒー屋さんに立ち寄り、早速読み始めました(最近1人コーヒーにはまってます)。
想像していた以上に面白く――内容が面白いというか、文章にとても魅力があるといったほうが良いでしょうか――ぐいぐいと引き込まれていきました。

さすがに1日で読み終えることはなかったですが、2日で読んでしまいました。これは私にしてはものすごい早いスピードで(本当に読むの遅いので、汗)、自分でも驚いたほどでした。

読む前は、前述の紹介文からもっと色気のある妖しい作品・文章かと思っていたのですが、そうでもなく割と淡々とした印象でした。変にきどった、奇をてらった表現を使うことなく、かといって劇的なストーリー展開というわけでもないのに、こうも惹きつけられるのは何故だろう、と思いながら最後までページをめくり続けました。

性的生活がないだけでなく、2人の間には愛情も欠けている。妻には恋人がいて、自分にもたまに会う売春婦の女が居る。お互いに別れるつもりでいるのに、いざその話をしようと向き合うと、何も言えなくなる。1人息子(小学生くらい)が両親の間に何かしら溝があることに気付いているのを知っていながら、息子に自分たちのことを話せずにいる。

そんな2人の悩ましい日常が、妻の父や離婚歴のある従兄弟との関係を絡めながら、描かれています。
いつまで経っても前に進めず、何かあれば「ああだから、こうだから」と言い訳をして、離婚話を先に進めようとしない夫婦。煮え切らない状態にイライラさせられるのかと思いきや、まったくそんなことはなく、「そうか」「なるほど」「わかるわかる」とこちらも納得させられてしてしまうところが、作者の力量であり、またこの作品の魅力なのかもしれません。

ちょっと洒落た台詞、テンポのいい会話。それに『細雪』でもそうだったのですが、まるでタイムスリップしたように感ぜられる大正文化の記述。
ストーリー展開というより、彼の巧みな言葉遣いを堪能した気分でした。
もちろん、夫婦の関係、親子の関係、舅との関係、そして個人の内面の葛藤などには、小説の醍醐味でもある人間の奥深さを見ることができました。まさに「海草が妖しく交錯する海底の世界を覗く思い」でした。

そう…「淡々と」と書きましたが、我々の生活それ自体が、実は”淡々”としたものなんですよね。そうでない人もいますが、そんなにありふれているわけではなくて、多くの人達の生活は本人達が思っているほど波瀾万丈ではなく、端から見れば大したものではなかったりする。
そうした日常の中で積み重ねられる小さな幸せや小さな不幸に、私達は振り回されながら生きているのだな、と感じました。

人間って随分贅沢な生き物だなあ、と思います。それが幸か不幸かはわかりませんが…。

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