磯崎憲一郎『終の住処』

『終の住処』第141回芥川賞受賞作です。
こちらの書評を読んで興味を持ち、読んでみました。現代小説に自ら進んで手を出すことは滅多にありませんが、普段小説など読まない(評論系は読む)知人が突然、「読んだ。でも批判的な選者の意見のほうが納得がいった」と言ってきたこともあって。
それでも、面白いかどうかもわからない小説のために790円も出すのに1週間迷って、今日別の本を買いに行ったついでに買ってきました(笑)。

著者の磯崎さんの経歴は新聞等で知っていたから、こんな華やかな経歴(高学歴で大企業の商社マン、いわゆる勝ち組)を持ち、しかも顔もそこそこイケメンな彼が、50過ぎの男の無味乾燥な半生をどう描いているのか、そこにも興味がありました。

……で、どうだったかというと、一言で言えば私は好きです。理屈で物語を楽しむ類の作品ではなく、感性で読むものだから、非現実的なことに少しでもひっかかりを感じるような人には向いていないかもしれません。好き嫌いはわかれるだろうと思います。まあ、どんな小説においてもそうですけど。

主人公は「彼」。
お互い30を過ぎ、そんなに好きでもないのに結婚した「妻」との通じ合えない20年間を「彼」視点で描いています。
「妻」とわかりあえない20年間が、幾つかの象徴的なエピソードと絡めて進められていきます。
以下、ネタバレ。

妻が自分を見てくれないと彼女の浮気を疑ってみたり、気付いたら自分も浮気していて、それを理由に「よし、離婚するぞ!」と離婚話を持ちかけようと、浮気相手との密会場所だったホテルに妻を呼び出したら、妊娠を告げられ結局離婚できなかったり。
娘(ここは一つのポイントでしょう。息子ではダメだったと思う)が生まれて、夜泣きにうんざりしながらも、仕事が終わると真っ先に家に帰るほど娘に溺れたり。
かと思えば、ある日突然妻が口を聞いてくれなくなり、それが11年続く羽目になってしまいます。その間、2人の間の会話は娘(まだ幼年)を通して行われるという奇妙なこともおきます。
また彼はその間に8人もの女性と浮気をします。
そして40歳を過ぎた頃、彼は突然家を建てる決心をし、実際に3年かけて家を建てます(ここで妖しげな老人建築家が出てきたりする)。
その頃になると、彼もそれなりの役職についています(彼は製薬会社の営業マンなんです)。うまく進まない米国企業買収の交渉をするために、彼は単身でアメリカへ行くことになります。一度諦めて帰国する気を起こすほど、なかなかうまく行かない買収交渉ですが、結局最後は成功し、彼は日本に帰ってきます。
帰国し、妻から聞かされたのは娘が米国へ行ったという話でした。同じ米国にいたのかと、なぜ自分に相談もなしに話が進んでいたのかと(留学か旅行かということさえわからない)、ショックを受ける彼ですが、あれこれ思考しているうちに、この妻と20年も連れ添ってきたことを再確認します。そして、この家で彼女と死ぬまで過ごすのだと気付いて……終わり。

内容はこんな感じです。
その間に彼の妄想というか、夢と現実の狭間のような荒唐無稽な描写がいくつも出てきます。
これ、選評を読んで初めて気付いたのですが、ガルシア=マルケスの世界でした。以前、感想を書いた『百年の孤独』のマルケスです。
マルケスに言及していた方は2人いました。私がこの作品の世界に耐えられたのは、一つは先にマルケスの世界に触れていたからだと、選評を読んで気付きました。おそらく、読んでいなければこの世界を受け入れられなかったかもしれません。

先に「感性で読む」と書きました。確かに感性で読む類の作品なんですが、例えば私が好きな川端康成とはまた違うタイプですし、この物語の進め方というのは独特で、『百年の孤独』を一度読んでいたから最後まで耐えられたように思うんです。
『百年の孤独』も読み進めるのには苦労しましたが、とにかく理不尽なことも非現実なことも強引に認めさせる力がありました。その力がこの作品にはなかった(マルケスは世界中の作家に影響を与えた作家らしいので、比べること自体があれかもしれない)。
特にこの作品は、前半よりも後半のほうが文体も安定し、勢いがありました。何とか世界を受け入れることができたので読み進められましたが、『百年の孤独』を読んでいなかったら受け入れられないまま閉じていたかもしれません。
私は面白くなければ、途中でも投げるタイプなので、「790円も出したんだから!」と意地でも読んでいたかもしれないけど、字を目で追うだけで何も感じることなくページをめくっていたかもしれません。

そんなわけで、面白かったのは面白かったのですが(ストーリー自体も良いところを突いていると思います)、詰めの甘さが目立ちました。ここで選者の言葉をお借りして(楽してごめんなさい)、その甘かった点を上げます。

まずは石原慎太郎さん。彼はこの作品だけでなく、最近の芥川賞受賞作全体に対して苦言を呈していましたが、

“彼等(引用者:最近の受賞者)は彼等なりに、こちらは命がけで書いているのだというかもしれないが、作品が自らの人生に裏打ちされて絞り出された言葉たちという気は一向にしない。”

私は最近どころか、かつての芥川賞受賞作品さえほとんど読んでいませんし、今回最終選考に残った5作品もこの『終の住処』以外に読んでいないので、彼の言葉に全面同意はできません。しかし、少なくともこの作品に関しては、石原さんの言葉は当たっていると思いました。
私が作者の経歴を気にした理由はここにありました。恵まれた環境で生きてきた(ように見える)磯崎さんが、中年男のつまらない(?)半生をどれだけ描き切れているのか。
思っていたよりずっと描けていたとは思いますが、作者はこの「彼」の人生を結局は「知らない」んだ、と思わせてしまっている箇所が幾つか見られて、それが残念でした。

特に11年間、「妻」と口を聞かなかったというエピソード。
妻が口を聞かなくなったきっかけらしい出来事はあるにはあるのですが、説得力にかけていました。理屈では説得力を持たせられないから難しいところだとは思うけど、力ずくでも納得させてしまうくらいの圧倒的なパワーが欲しかった。
磯崎さんは受賞インタビューで、このエピソードは友人から聞いたものだと言っています。友人が実際にそういう経験(口を聞かなかったというのではなく、11年間家で一度も食事をしなかったそう。その後夫婦は和解して、今は円満に暮らしていることに磯崎さんは感動したらしい)にあったらしいんです。
ああ、そうなのか。エピソードを借りてはきたけど、作者自身の中で消化しきれなかったんだ、と思ってしまいました。

この主人公の人生は決して波瀾万丈ではないし、書かれてあることをすべて現実として受け取れば(夢か現実かわからない部分は、彼が妄想を見ている“現実”と受け取る)、彼は割と大きな会社で営業マンとして順調に出世し、傍目には順風満帆な人生を送っています。ただ、本人がわけのわからないことを考えているだけで。
「彼」の半生をつまらないとか虚しいと思うか、または面白いと思うかは読者次第です。ただどちらにしろ、そこにつまらないならつまらないなりの重みがないと、「彼」の半生ではなく、この作品そのものがつまらなくなってしまう。
おそらく、一見順風満帆な人生を送る一人の中年男性の人生に漂う虚無感みたいなものを描きたかったんだろうけど、それが描ききれていないように感じました(そもそも、こんな風に読者に「この人が言いたかったのはこういうことなんだろうな」とか「言いたいことがわからない」と、作品そのものに対する感想ではなく「作者の意図」に考えを及ばせるようなことをしてはダメだと私は思っています)。
例えば主人公が女性と浮気を繰り返す話なども、この中年男性像は作者の想像でしかないのではないか、と思わせるような描き方でした。実際の中年男性がどうかということではなく、「これってステレオタイプを書いてるだけじゃないの?」と“思わせてしまう”。
それが、村上龍さんの言う、

“現代を知的に象徴しているかのように見えるが、作者の意図や計算が透けて見えて”

や、高樹のぶ子さんの、

“何十年を語り尽くした主人公が見えない。空白なら其れもよし、空白を見せて欲しい。”

といった、選評に繋がっているんだと思います。

宮本輝さんは『百年の孤独』を引き合いに出し、

“磯崎憲一郎氏の『終の住処』では、作者の目論見が曖昧で、文学的意図を十全に伝えているとは思えなかった。”

と評しています。この「曖昧さ」も気になった点です。
何より私は、「彼」が神経症であると言ってしまった点が気になりました。ここに曖昧さが一番顕著に表れていると思います。
先にご紹介したメロンぱんちさんの書評で、「彼」が神経症であることには触れられていましたが、私は今日読む前にはそのことはすっかり忘れていました。だから読み進めながら、突然神経症の話が出てきた時にすごく違和感を覚えました。正直、「(作者は)逃げたな」と思いました。
神経症という曖昧な病気を出すことによって、非現実的な描写を「彼の妄想であるかもしれない」というただの「現実」に追いやってしまった。結局その描写が作品全体の中での意味を失い(意味を持たせることから逃げた)、「主人公のトンチンカンな妄想」で終わっていたように思います(私は神経症による症状などではない、と思い読み進めました。そうでなきゃ作品を楽しめない)。
仮に作者の中でそのような設定があったとしても、わざわざ本文中で神経症に触れる必要はなかったと思うんです。

さらに、ところどころに出てくる彼の営業の仕事がリアリティに溢れているのも気になりました。
これは作者の商社マンとしての経験に基づいているのでしょうが、触れるのは結構だけど、円高で輸出競争力がどうのこうのと10行以上も割く必要はなかった。軽くバブルに向かう匂いを漂わせていればよかったのに、仕事関連のエピソードだけ現実的すぎました。
ここだけ作者の影がひどくちらつき、「彼」の匂いが消えてしまっていました。結局これも「曖昧」とか「主人公が見えない」という評に繋がった要因なのではないでしょうか。

……と、まあ、辛口になってしまいましたが、私は好きな作品です。半分も読まないうちに、「これはいい」と直感しました。
気になるところはたくさんあるのですが、心に響くエピソードや言葉が幾つかあり、それが粗を覆ってくれた、という感じです。
例えば、食事の帰り道、あまりにもの寒さに妻が「寒い」と両腕を主人公の左腕に絡めてきて、そのことに主人公が幸せを感じる場面は、一番好きな箇所です。こういった直接心にふっと触れる箇所が幾つかありました。その時の心地よさが最後まで保ってくれたので、全体としていい印象を持てました。

それにしても、選者ってさすがですね(偉そうにすみません!!)。読後に私が感じたけど、うまく言葉にできなかったことがすべて書かれていました。しかも端的に。
しかし、この作品はこれだけ不評なのに何故受賞したんでしょう。納得できないのなら受賞者ナシでもいいのに、と思ってしまいました。芥川賞の選考方法はよく知りませんけど。

2 comments to “磯崎憲一郎『終の住処』”
  1. 序盤の池にヘリコプターが降りてくるあたりは、正直、「この物語は何?」と疑問だらけでした。鬱蒼とした展開に入り、また終盤で、非現実的なほど背の高い建築士が登場しますが、活字というのは映像以上に変化への対応が難しいなぁ…と。
    現実世界から突如として飛躍してしまう。それが読んでいても読み取れなかったというのがホンネでしょか。
    確か文中に「神経症」という言葉が出てきてしまうんのでしたっけ…。
    サザン桑田さんの映画で、サーファーが最後に空に飛んでいって星になってしまうラストシーンは、映像であったから理解できるんですが、小説だと読み手の裁量って大きく影響しそうですね。
    芥川賞の掲載されたときの文藝春秋は、選考委員の論評も読めるので有難いですよ~。「ああ。結構、自分の感想と似てる」という意見も見つける事ができるので、自分の感想がズレていないかどうかの答え合わせも出来るので便利っす(笑
    選評で度々、名前の挙がっていた「スープ」の方が気になってしまいました。

  2. >メロンぱんちさん
    私も序盤は「なんじゃこりゃ?!」でした(笑)。
    文章のリズムも合わなくて、最初の数ページは音読してみたり……思えば結構苦戦しながら読みました。
    選評はそれだけで一つの読み物なんですね~。もうちょっと長いのを読みたいなあ、と思いながら読みました。
    『まずいスープ』、私も気になりました。なんか受賞作よりも他の作品のほうが面白かったんじゃないかと思わせる選評でしたね(^_^;

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