『私の頭の中の消しゴム』

日本のテレビドラマ『Pure Soul~君が僕を忘れても~』を基に作られた韓国映画です。
20代の女性が若年性アルツハイマーにかかり、記憶を失っていくという物語。その現実に向き合う彼女と彼女の夫、そして家族達の物語です。
「純愛ラブストーリー」なんて安易な宣伝文句が付いていますけど、ラブストーリーを軸にした「ドラマ」でもあるし、大きなエピソードはないものの「家族ドラマ」でもあると思います。

ストーリーはWikipediaよりお借りします。

社長令嬢のスジンと工事現場で働くチョルス。育った環境の違う二人だが、互いに惹かれ合い結婚する。幸せな日々を送っていた矢先、スジンが若年性アルツハイマー病に侵されていることが判明する。それは徐々に記憶障害が進行し、肉体的な死よりも精神的な死が先に訪れる病気である。日々失われていくスジンの記憶をつなぎ止める術はなく、遂には夫・チョルスの事さえ記憶から消えていく。チョルスは葛藤を覚えながらも、彼女を大きな愛で受け止め、支え尽くす決意をする。

以下、完全なるネタバレです。ラストシーンまでネタバレです。

二人が恋に落ちていく過程がとても綺麗に描かれていました。
無駄に台詞を並べることなく、二人が道ばたで顔を寄せ合って笑っている、抱き合っているシーンをスローで流し、それだけで二人が互いに夢中になっていることを表現していました。
思わず赤面したくなるようなシーンばかりでしたが、恋愛というのは当事者にとってはそういうものだから、すごく良かったと思います。このシーンがあったので、後に主人公のスジンがアルツハイマーに冒され記憶を失っていく過程の辛さが際立っていました。

アルツハイマーは新しい記憶から失っていくので、夫であるチョルスは最初に忘れられる存在となってしまうんです。だからスジンが夫の名前は忘れているのに、夫と出会う前に付き合っていた男(職場の上司なんですが、妻子ある身ながら彼女と不倫していて、彼女は彼に捨てられたんです)のことは覚えている、というような状態が起きてしまいます。
彼女は、夫のチョルスに対し元愛人の名前を呼び、さらに「愛してる」とまで言ってしまう。それにチョルスは応えます。「僕はチョルスだよ。あいつじゃないよ」と彼女の言葉を否定することはせず、かつての愛人の名前を呼んだ彼女に、笑顔を返すんです。
彼女を責めることなどできないから。彼女の言葉をすべて受け止める。
しかし、この状態はチョルスだけでなく、スジンにとっても辛いものでした。

記憶がなくなっていく恐怖を手紙に綴るスジン、その手紙を嗚咽を漏らしながら読むチョルス。
自分は夫を苦しめているだけだ、それが自分にとっても辛い、と判断したスジンは「自分がスジンの面倒を見る」とスジンの家族に言い放ったチョルスの元を自ら去ります。その手紙を書き残して。
スジンは家族の元に帰り、また家族を苦しめることもないようにと施設へ行きます(このシーンは描かれていませんでしたが、彼女は自ら施設に行くことを選んだのだと私は思います)。
そして父親に離婚届を託し、夫に渡すように頼みます。父親はチョルスに会い、離婚届を渡します。しかし当然のようにチョルスは離婚届を破り捨て、自分は「彼女に伝えなければならない言葉がある」と言いました。
この時、父親はスジンの行き先をチョルスに告げることはしませんでした。チョルスも行き先を尋ねることはしなかったのでしょう。次の場面では月日が流れています。

彼らのこの距離感は、私にはとても優しいものに感じられました。相手を苦しめるとわかっているから突っ込んで聞くようなことはしない。しかし、譲れないところは決して譲らない。

ストーリーにも書いてあるように、スジンは社長令嬢、つまりスジンの父親は社長なんです。チョルスは父親の会社が作るビルの建築現場で働いていた現場監督でした。
父親は初めてチョルスを紹介された時に、眉をひそめます。工事現場で働くどこの馬の骨かもわからない男だという思いもあったのだと思います。
さらに、韓国は日本以上に血縁や家族に固執する社会です(ドラマとか観ていると驚きます)。父親はチョルスに、まず家族について聞きます。しかしチョルスは母親に捨てられたという過去がトラウマになっていて、母親の存在さえも認めないという態度を取っており(母親とは後に和解しますが、そのきっかけはスジンであり、スジンの家族だった)、話しません。それでも最終的には父親は二人の結婚を認めます。
父親は、娘の不倫も責めるようなことはしませんでした。
韓国では現在も姦通罪が存在しています。父はスジンの不倫のせいで警察にも呼ばれたんです。
それでも彼は、謝る娘に「そんなこと忘れたよ」と笑顔を向けます。
作中では二人が庭のブランコに肩を並べて座り、語り合うシーンもあるのですが、それがとても羨ましかった。

スジンの家族の登場回数は決して多くありませんが、彼女がどれほど家族に愛されてきたのかというのは、彼女の言葉からもよくわかります。それが、母親を許せず、しかし忘れることもできずに苦しむチョルスの心を溶かしていきます。

「許すということは、心に空き部屋を一つ作ること」
「あなたはその空き部屋をお母さんに渡し、自分は部屋の外でガタガタ震えている」

(↑正確ではありません)祖父の言葉だというこの言葉を、スジンはチョルスにも託し、彼は苦しみながらも母親と和解します。それで大金を失うことになるのですが、二人は前に進んでいきます。刑務所に入っていた母親も出てきて更生します。

チョルスと住んでいた家を出、施設で暮らしていたスジンはある日、ふと記憶が戻ります。それが嬉しくて、彼女はチョルスに手紙を書きます。せっかく思い出したので手紙を書いたと、チョルスに送ったのです。
チョルスはその消印から、彼女が暮らしている施設を探し当てます。そして二人は再会します。
しかし当然、その時には彼女の中から記憶は消えています……。

最後の場面は、スジンとチョルスが初めて会った場面の再現です。
二人の出会いはファミリーマートでした。その頃からすでに健忘症の兆しがあったスジンが、購入したコーラをレジに置き忘れ、それを取りに戻ったことが二人の出会いのきっかけでした。
施設の許可を取り、スジンは外出します。
付き添いの看護婦に想い出のファミリーマートに連れて行かれ、わけのわからないまま店に入ります。
店の入り口で、チョルスがスジンを迎えます。あの時と同じように、コーラを片手に。
しかしスジンはそれが何を意味するのかわからず、店に入ります。するとそこには、彼女を支えてきた主治医や家族、チョルスの母親、チョルスの父親代わりとなった大工の師匠までもが、彼女を待っていたのです。
スジンにはもはや彼らが誰なのかはわかりません。それでも彼女は何か温かいものを感じます。
その時に口にした彼女の言葉が、すべてでした。自分を愛してくれる人達に囲まれて、スジンはただ幸せを感じていた。記憶がなくとも、愛情は感じることができる。幸せそうに微笑む彼女の表情が、とても綺麗でした。

実際のアルツハイマーの症状やその苦しみ(本人だけでなく周囲も含めて)というものは、私にはわかりません。映画は綺麗事だ、と言われてしまえばそれまででしょう。
しかし一つの病気を通して描かれた、夫婦愛や家族愛の素晴らしさを否定することは、私にはできません。素直に涙してしまいました。それは、この物語の悲劇性に心が揺さぶられたというよりは、スジンとチョルス二人の愛と、彼らを取り囲む人達の温かさに触れたからのように思います。
「いいなあ」と、とても羨ましく思いました。

現実にこういった愛が有り得るのかはわかりません。あったとしても、数少ないかもしれない。
そういった意味では、(私は日頃から「映画は夢」だと述べていますが)この映画も一つの「夢」の提示なのかもしれません。
素敵な物語でした。主人公の二人もとても魅力的で。そして何より、優しい物語でした。

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