イチローに惹かれる理由

ここ数日、なぜ私(達)はイチローに惹かれるのだろう、とあれこれ考えていました。
13日に9年連続200本安打の米大リーグ新記録を打ち立てた時はちょっとしたお祝いムードでした。日本中が彼の偉業を祝福した、とはさすがに思いませんが、WBCの時にも見られたように、「イチロー」という人に対して、私達日本人は特別な思いを抱いているような気がしてなりません。

これはイチローだけに限りませんが、どうやら私達は、特に世界で活躍する日本人に対して無条件でそれを「誇り」と感じてしまう傾向があるようです。私は「誇り」とまでは思わないけれど、同じく無条件に、そういう人達を応援したくなってしまう。
これは所属との問題で(今さら言うまでもないのですが)、例えば同郷だとか同校だとか、まあ会社とか同業者とか、自分と同じ社会や組織に所属している人達に親近感を抱いてしまうことと同じです。その一番大きな所属先が国というカテゴリーなので(アジアとか人類とかは省いてください)、同じ国に所属する人に対して親近感を抱き、自分のことのように嬉しくなってしまうのはいたって自然な感情のように思います。
ただ、イチローはそれだけで応援されているというわけではないんですよね。

彼は「天才」と言われる人です。「天才」というのはそれだけで一つの魅力です。
自分の力では決して届くことのない未知の世界に代わりに連れて行ってくれる人として、自分の力では成し遂げられない夢を見せてくれる人として、時に住む世界の違う人として彼らを崇め、時に自分達の代表者として仲間意識を持って彼らに親近感を抱く。
複雑なようだけど、私達の彼らに対する思いはいたってシンプルなところから発生しているように思います。
大衆から崇められる個人に対して反感を持つ人達はどこにでもいるけど、それは「嫉妬」というまた別のシンプルな感情なわけです。

「天才」はしばし変わり者とされることがあって、近寄りがたいとか凡人には理解しがたいとか思われがちです。しかし、イチローは違うように見えます。
彼の野球に対する信念は崇高で、誰の手にも届かない・見えないものにすら思えるのですが、彼自身の言動はいたって俗っぽい。一昨日だったか、彼が出演して話題を呼んだ『古畑任三郎』の再放送を見ながら、そんなことを思いました。

イチローに関してはあらゆる関連本が出ていますし(一冊も読んだことありません)、いろんな人が彼の言葉や考え等々を分析しているので、私のようなTVの中の彼しか知らない者がイチローについて語るのも何だか気が引けるのですが、あえて何にも頼らずに自分の感じたことのみで彼を分析してみようと思います。異論反論、カモン達夫(ああ、ごめんなさい!!)。

イチローは野球(やそのための日常生活)では完璧さを求めている人のように見えるのですが、彼から野球を除くと、その姿はいたって普通の人間というか、隙のある人のように思います。
彼は見たところ、とても純粋で素直の人のようです。思ったことははっきりと口にするし、表情にも出ます。楽しい時は大声で無邪気に笑い、辛い時にはその心情を隠すことなく吐露する。
塁上で必死に涙を堪えている姿などは、「こんなとこで泣くわけにはいかない」思いと、それでも出てしまうものを止められないという矛盾の中で葛藤する、一人の人間の姿でした。完璧でもなく、ポーカーフェイスでもなく、ましてや宇宙人でもない、プレッシャーに押し潰されかけながらギリギリのところで踏ん張っている一人の人間だったんです。

「この人はすごい」と驚かせ、突き放しながら、「ああ、私達と変わらないんだ」と近付かせる。
これはもしかしたら彼の作戦かもしれない、と勘ぐることもできますが、そんなことができるような器用な人にも見えません。
どこかに不器用さを感じさせるところが、彼の魅力であるようにもあります。そんな不器用な彼が偉業を成し遂げるからこそ、人々は感動し、自分のことのように喜び、褒め称える。
純粋であり、不器用である彼の姿は、時として少年のようにも見えます。それは、人が成長する過程で失ったもの(大人になるにつれ、人は純粋さも不器用さも失い、周囲に合わせて自分の思いを捨てる「器用な」人間になってしまう)を彼が持ち合わせているから。
彼の姿に、失った過去の自分を見つめているのだろうと思います。そういう意味でも、彼は「夢を見せてくれる人」なんです。

アメリカでは好まれないという内野安打も、地元では大きく取り上げられなかったなんて言われる(人種のせいもあると思うんですけどね)今回の記録達成も、イチローがそこにこだわり続けたのは、私達-海の向こうから彼を見つめる日本人-のためではないかと思うのは私だけでしょうか。
もちろん、彼自身が達成したいと強く思っていたのも確かでしょう。しかし、そこには彼が日本人であるということが大きく関与しているような気がしてなりません。

イチローは日本人であることに強くアイデンティティを求めているように見えます。アメリカにいるからこそなのか、彼は日本人であることをとても意識している。
彼はもともと「集団の中の個人」であることを好む人なのかもしれません。日本人にはそういう気質があるのはよく知られています。何かに所属していないと不安でたまらない(組織のために個人を捨てる社会……)。
大リーグでは個人主義をやっている彼がWBCの時にあんなに生き生きしていたのは、日本チームという集団の中に自分を置けたからなのかもしれません。さらに、周囲は自分を慕ってくれる。誰かに頼り頼られる、というのは個人が自分の存在意義を見出すためにとても重要なポイントです。
イチローが「(一般的にそう思われているところの)日本人らしい」日本人であるという点も、私達が彼に惹かれる理由の一つに挙げてもよさそうです。

……と、思うままに書いてみました。

彼が好かれる理由の大きな一つには、彼の外見もあると思います。どちらかというとイケメンさんだし(しかも童顔だ)、体格も、大きめな選手の多い野球の中ではかなり細身。さらにサングラスも似合うし、Tシャツ一枚でもサラリとかっこよく着こなしてしまう。
そんな外見だからこそ、少年っぽい性格とのギャップが(特に女性には?)受けるのかもしれません。
さらに女性に媚びようとせず、むしろ下ネタを喜んで言ったりして男性受けを狙っているような節もあるので(男同士で戯れるのが好きなのかもしれない←ゲイとかそういう意味ではなく)、男性からも支持を得ている。
面白いことを言おうとしてイマイチ滑っていたり、かっこつけようとしているのが透けて見えたり。。こういう子供っぽい人間臭さもまた魅力でね。
まあ、それも見た目がいいから許されるわけだけど(笑)。

ここまで書いて、そういえば「天才」って何だろう、と思いWikipediaを覗いてみました。が、ここは「天才=奇人・変人・狂人」といったようにその部分ばかりが強調されていて、やや偏っている感じがします(この項目を書いたは妬みでもあるんだろうか、苦笑。しかも注意書きもないし)。
ここを読んでいると、イチローに対して「天才」という言葉をつけるのははばかれますが、彼は「誰もが成し得なかった偉業を成し遂げた」という点において、「天才」と呼んでいいのかなとは思います。
そもそも、スポーツではそこまで変人だと「天才」と呼ばれる前に潰れてしまいますし。天才が変人である必要はないですし。

ただ、天才と凡人との差は生まれ持った能力はもちろんのこと、「常識」にはまるかはまらないか、ということも大きいようです。
人から「それはおかしいよ」と言われてもやってのけられるかどうか(イチローの場合は振り子打法や内野安打がそれかな)。
常識を逸脱してしまうので「変人」と呼ばれてしまうのでしょう。「変人」というのは、あくまでも大多数を占める凡人が作り出した「常識」という名の枠から外れた人、であるからです。
変人とされる人々から見たら「常識」こそがおかしなものとして見えるのかもしれない、ということを私達凡人は頭に置いておいた方がいいかもしれません。「この常識は本当に正しいのか」と。

人は常識にしばし窮屈さを感じたりします。だからこそ、そんな窮屈な枠を超えてしまう天才的な人達に憧れを抱き、また嫉妬するのでしょう。

といわけで、遅くなりましたが、イチロー記録達成おめでとう!
なんでそんなにかっこいいんだー!

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