「夢を持ってください」

著名なスポーツ選手などが母校の学校を訪れ、後輩の子供たちを相手に必ず言うのが、

「夢を持って(見つけて)ください」

という言葉。
高校……いや、大学の頃かな、大人が簡単に「夢を持ってください」と言うのが解せなくて、

どうして夢を持たなきゃいけないんですかー?(怒)

と、やけに反発していた時期がありました。
今では笑っちゃう話ですが、あの頃はそれが「夢を持たない人はダメ人間」と言われているように私には聞こえ、本気でムカついてました。
そんな私も今は、なぜ大人が「夢を持ってください」と言っていたのか、その理由がわかるようになりました。

一般人はともかく、スポーツ選手や科学者など活躍する方たちが「夢を持ってください」と言うのは、考えてみたらごくごく当たり前のことなんですよね。彼らは夢を支えに生きてきたわけだから。
夢を抱き、それを叶えるために努力し、努力が実り、今の地位を築いた。
そんな人生に彼らはそれなりに満足しているだろうし、もちろん誇りを持っていて、そして幸せを感じている。
「夢を持って」という言葉は、自分が味わっているこの幸せをみんなにも感じてほしいんだ、というメッセージだったんですね。

現実には夢を叶えることができるのはほんの一握りの人だけで、多くは夢叶わずに挫折したり、人生でつまずいてしまったりします。そういった時にその挫折をどう乗り越えるかというのは、「夢を持つこと」に比べたら教えられる機会が少ないようにも思います。
子供たちにはどこまで教えればいいのか、私にはわかりません。
社会の厳しさを教えるのも大人の役目かもしれませんが、でも、必要以上に子供たちを厳しさに晒す必要はないのかな、とも思います(必要以上に守る必要もないです、もちろん)。
たとえ現実離れしていると思われるようとも、大きな夢を持つのは、やっぱり子供の(本当は大人もだけど)特権なんです。それを大人や他人が奪う権利はないと思うんです、与える権利はあっても。

夢は持たなくても生きていけるけど、持っていたほうが山あり谷ありの経験に富んだ人生を送れるんじゃないかと思います。
私は持っていた夢を幾つも捨てて生きてきました。
簡単に捨てられる夢なんて、夢と言えないかもしれないけど、その時持っていた夢を叶えるために行った選択や努力から別の夢が生まれたり、生き方が変わったり、様々な出会いをしたり、いろんな経験ができました。それらは今の私にとって一番大切で、失いたくないものでもあります。
そんな経験を得られたのは、小さきながらも一応「夢なるもの」を持っていたおかげなのかなと思います。
大学生になって、

どうして夢を持たなきゃいけないんですかー?

なんて子供じみた(いや、大人のほうがそう考えるかもしれません)考えを持つようになったのは、きっと夢が見当たらなくなってしまったからだと思います。
見つける方法も見失って、やり場のない焦りみたいなものをそういった反発で晴らしていた。
それが私にとっての挫折というか、失敗なのかもしれません。

思い返せば、数年くらい前まで「どうして夢を(略)」と考えていたような気がします。それも真剣に。
他の幸せや生き方を認める余裕がなかったのか……ただの嫉妬かもしれません。夢に向かって生きている人は輝いているから、その眩しさにくらんで顔を背けたのかも。
今は夢を実現しようと頑張っている人を素直に応援できます。羨ましいと思えます。でも、妬んだりはしません。

夢を持つか持たないか、どっちが正しいとか良いとか悪いとかはないと思います。
やってはいけないのは、一方を蔑むこと。夢のない人を蔑んではいけないし、その逆も然り。
いろんな生き方があるってことを認めるのは難しいけど、認めなければならないと思います。たとえその生き方を理解できなくても。

……と、昨夜布団の中で、こんなことを考えていて、半分眠りながらメールに下書きしてました。

何故こういうことを考えていたのか、きっかけは思い出せません。ふと「夢」についての自分の考えが変わっていることに気付いて、パッと殴り書きしてました。
どうでもいいことかもしれないけど、この気持ちを忘れないために文字に記しておきます。

「夢」
今の私は夢を持っているとは言えないけれど、心の奥深くには「こうありたい」という思いはあるかな。「夢」と言うには小さすぎますが、そんな「夢らしきもの」を支えに生きていくのもいいかもしれないです。
小さく生きるというか。私はあまり大きな夢は持てないようだから。

6 Comments
  1. 《夢を持つか持たないか、どっちが正しいとか良いとか悪いとかはない》…というクダリ、激しく同意です。しかも、最近になって少し女性を中心に硬直しつつあるのだろうか、なんて正月に考えてました。
    勝間和代さんがブレイクし、他方で香山リカさんが新しい幸福論らしきものとして「しがみつかない生き方」を提示しているという。両者の云わんとしている内容って理解できるんですよね…。
    で、あるテレビ番組に川上未映子さんが出演していて、「昔はもっと多様化した価値観があって、それについて誰がどんな価値観を持とうが外部から否定される事なんてなかったのに、最近は締め付けがおきているように感じる」といった主旨の話をしていたんですが、私もそれを感じている一人かもなぁ。一時期よりも「自由がなくなった」という感覚があるんですよね…。
    話題になっている『日本辺境論』もそんな感じっぽいですし。どことなくですが、多様性の見直しが日本で起きているのではないかなって思いました。

  2. 夢がなければいけないというのもシャクに障る話ですし、かといって「人生とは時間とカネの使い方である」というマニュアル的な生き方というのは窮屈すぎるという気もするんですよね…。それぞれはそれぞれであろう、と。
    そういえば姜尚中さんの知人が「幸福学」なんてのを起こしたそうですが、やはり、香山リカ的、日本辺境論的の多様化を模索するものだったと感じました。

  3. >メロンぱんちさん
    「昔」というのが具体的にいつの時代を指しているのかわからないので間違っているかもしれませんが、昔のほうが多様性が認められていたというのは、昔はそれだけ人々に心の余裕があったからではないでしょうか? 他人を認めるか認めないかは、精神的余裕に大きく左右されると思います。余裕のない人ほど自分の考えに固執するように感じるのですが。。
    思えば、「ナンバー1よりオンリー1」「個性尊重」という言葉が流行っていた時がありました。それらは自由や多様性と直接関係のある事柄のはずです。
    それは特に教育で強く取り上げられました。しかし、学力が下がれば今度は「間違っていた」と叩かれ、見直しが叫ばれ、現場が行政や社会の勝手な都合に振り回されているようにハタからは見えます。
    ゆとりや多様性が必要だったのは子供だけではなかったのに(社会が変わらなければいくら教育を変えてもダメ)、子供だけ変えようとしたところに無理があって、その無理が子供だけでなく大人社会にも現れているのではないでしょうか。

  4. (続き)
    これまでは見えなかった膿が、今いっせいに吹き出しているのだと思います。それが社会の「閉塞感」なるものを生み、人々の心から余裕を奪い、社会はますます窮屈になる、という悪循環に陥っているのかもしれません。
    勝間さんや香山さんについては、香山さんのお顔以外はほとんど存じないので何とも言えませんが、そういった誰それが提示する考えや生き方にすがる人が出てくるのも、自分だけは「閉塞感」から抜け出したいという気持ちが皆にある、その表れのようにも思います。
    ただ、せっかく生きていくなら誰かの考えを頼ってばかりではなく、バカだと言われてもいいから「自分はこうありたい(誰それのようになりたい、ではなく)」と自分の人生について自分自身で深く考える機会があっていいと思います。
    そういうことを考える余裕も失われつつあるのかな、と思うのですが、実際のところはどうなんでしょうか。流行には疎いので、勝間ブームも香山さんもさっぱりです。。「辺境論」の本が話題になっていることは知っています(汗)。

  5. 以前に比べて、精神的な【ゆとり】とか【余裕】ってのが無くなったと感じるのは確かで、おっしゃるように多様性に耐えるだけの《基盤》がなければいけなかったのですが、割と刺々しい方向で他人の生き方・ライフスタイルを批判する批判合戦になってしまった時期があったと思うんです。何年ぐらい前でしたか『くたばれ専業主婦!』なんて本が話題になりましたが、他者への干渉、それも生き方そのものへの攻撃も許されるような風潮になったいたんじゃないのかなって感じた事がありました。
    「勝ち組」と「負け組」という言葉が2~3年前に流行りましたが、多様な価値観を持った社会の実現どころじゃなくて、生か死かみたいなサバイバル論に傾いていたんじゃないでしょうか。
    勝間さんと香山さんはライフスタイルとか生き方を提示しており、それぞれに意味があるんだと思うんですが、エコノミストの勝間さんだと「勝ち組になる為には頑張るしかない。これからの女の生き方とは…」と夢実現への積極的な姿勢となり、精神科医の香山さんや幸福学の考え方になると「既成の価値基準にしがみつくな。自分のシアワセを探しさえすればいい」のような事になっているようですが、いずれも閉塞感からの脱出法かも知れませんね。

  6. >メロンぱんちさん
    そうでした、「勝ち組」「負け組」なんて言葉が流行った時期がありました。この言葉が出てきた時も違和感を覚えたものでした。
    しかし、以前ほどには聞かなくなったのはいいことですね。所詮ただの流行語でしかなかったのでしょうが、こういった言葉も人の生き方を大きく変える可能性があるのだから、生き方に関わる言葉の使い方には気を付けなければいけませんね。。
    勝間さんの考えは「勝ち組」「負け組」の延長線上にあるんでしょうか。香山さんは精神論のようですね。対照的ですが、どちらも否定はできませんね。
    私はどちらかというと香山さんの考えに近いかもしれません。自分がより楽しく生きたいと思うために辿り着いた考えだから、大切にしたいです。
    でも人は変わるものだから、周囲の環境が変われば人生に対する考え方も変遷していくと思います。その時の私が幸せだと感じられる生き方を、その都度選んでいくことになるんだろうと思います。
    それが人生ですよね。

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