No music,no life

ツイッターで小室哲哉さんのツイートを追いかけたり、モー娘。の話をさせていただいたりしている中で、私にとって音楽が最も身近で最も楽しかった時期は「小室~モー娘。」間に当たるんだなあ、と改めて感じています。
小室ファミリーの曲が世間を席巻してCDがひたすら売れていた時代。L’Arc-en-CielとGLAYに代表されるロックバンドブームがあって、浜崎あゆみや宇多田ヒカルといったいわゆる「歌姫」が現れた時代でもありました。
バブル時代を知らない私が知る唯一のバブル、とでもいうのかな。とにかく音楽が世間を賑わしていました。

中学生の頃(小室フィーバーの頃ですね)から大学を卒業するくらいまでは、音楽番組も欠かさずといっていいほど見て(聴いて)いたし、ランキング番組で流れるサビを、一分もないくらい短いのに、ワクワクしながら聴いていました。
とにかく「聴ければいい」という感じで、いろんな曲のメロディ(の一部分)が、頭の中をグルグル回ってました。
音楽の質が優れているとかそうでないとか、歌詞がヘタだとかどうだとか、そんなことどうでもよくて、純粋に音楽を楽しんでいたような気がします。特に中学~高校の頃は。
ただのBGMだと言われるかもしれないけど、そういう風にサラッと音が背後を流れるっていうのが、いいんですね。とても気楽で、肩の力を抜いていられて。
ほどよくメロディを意識し、リズムに乗って体を揺らして。あの頃は、揺らしながらペンを走らせていたかな。宿題ですよ~、宿題(なんて懐かしい響き!)。

そういえば、車の中でもよく聴いていました。
うちの車はCDプレーヤーがなく、カセットテープしか聴けなかったんです。それで、ラジオやCDから好きな曲を必死になって録音して、車で出かけるたびに流していました。近場に買い物に行くときでも、親が眉をひそめても、意地でも聴こうとしてました(笑)。
それくらい、好きな音楽がいっぱいあった。

大学生くらいになると、車の中ではラジオを聴くようになりました。
大阪にはFM802(周波数80.2MHzからとった名前で「はちまるに」と読む)といういう音楽にこだわったローカルのラジオ局があるんですが、その局ばかり聴いていました。
鹿児島みたいな地方ではローカルのラジオ局ってあまり有名ではなくて、テレビもそうですけど、基本的に東京のものを垂れ流しという感じなんです。だから、大阪に行ってローカル局が力を持っている(番組の制作力など)のを見てびっくりしました。
テレビやラジオから流れてくる情報がこんなに違うなんて知らなかったから、新鮮でした。刺激的でもあったし。大袈裟ですけど、世界が広がった感じがしたなあ。

……と、大阪に触れると話が逸れちゃいますね(汗)。

そんなこんなで、小室さんの頃から、音楽は私にとってとても身近なものになりました。本当に生活の一部でした。
今でももちろん音楽は好きですし、聴きますし、昨年からはクラシックのコンサートに出かけたりするようにもなりました。でもそれは、生活の一部としてではなく、むしろ現実からの逃避的な感じなんです。特別な趣味というか。
無性に音楽が聴きたくなる時がありますが、最近は集中して聴いてしまうことも多いです。
先日、久しぶりに古いCDアルバムを取り出して(ジャミロクワイのベストですけど)、付属ののDVDをBGM代わりに流してみたりしましたけど、そういうことは本当に稀で。

最近は、ラジオが聴きたいなあ、と思うことが多いです。
昔のように、音楽を生活の一部に引き戻したいなって。曲名も歌手の名前もわからない曲が流れる中で、パソコンしたり本を読んだり、してみたいなって。
パソコンの音が出るようになれば、ネットで海外のラジオ番組などを聴きながら、作業できるんですけどね。
というか、音楽が生活の一部でなくなった一番の問題は、ここですね(苦笑)。聴くツールがない、という。
じっくり聴く音楽もいいけど、何気なくそこに流れている音楽もまた、必要なのかなって思います。

……この気持ちって、きっと寂しいからだと思うんです(笑)。最近、なんか欲求不満で(変な意味じゃないです!)。
予定が狂ったりして、あーだこーだと悶々としていて。

……はい、愚痴はここまで!

ラジオって、ただ聴いているだけなのに、(特に生放送は)どこか「繋がっている」感があるんですよね。
見えないけれど、「空間」が確かに存在していて、それを共有しているとでもいうのかな。いい言葉が思い付かないけど。
なんとなくそこに自分も参加している気がする、というのがいいのかな。
一人暮らしなんて特に寂しさを感じることが多いから、紛らすのにラジオはうってつけでした。
会話の内容がよくわからなくても、誰かが話す声がぼんやりと耳に入ってくると、それだけでホッとする部分があって。
そういうのが、今の私には必要なんです(苦笑)。

うーん、うまくまとめられませんでした。。
最近は「No music,no life」の意味が今までとは違う意味を持って見えます。
堅苦しく考えるものではなく、自然とありふれた光景の中にある言葉なんですね。

※おまけ。私の中の小室哲哉。
今思えば、随分失礼なことを言ってしまっていますね。反省。。
『小室哲哉で思い出す』(2008年11月9日)

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