『パリ20区、僕たちのクラス』

2008年のカンヌ国際映画祭で最高賞であるパルムドールを受賞した作品。
期待以上の素晴らしさ。フィクションとは思えないリアリティに圧倒されました。
(映画の公式サイトはこちら

以下、超ネタバレ。

※  ※  ※

内容はぴあ映画生活より。

フランスで教師を生業にしているフランソワ・ベゴドーの実体験をもとにした原作小説を、ベゴドー自身の主演で映画化した学園ドラマ。現代のフランス社会の縮図であり、人種のるつぼであるパリ郊外の中学校を舞台に、教師と24人の生徒たちの日常をドキュメンタリー風に描き出す。

フランス人、アラブ人、アフリカ人、中国人……。
移民が多く人種のるつぼと化している(らしい)パリ20区の公立中学校を舞台に繰り広げられる、国語(仏語)教師フランソワと24人の生徒たちの闘い。
新学期が始まってから休みを迎えるまでの9ヶ月間を、ドキュメンタリータッチというにはあまりにもリアルすぎる演出で描いています。
主演を務めたフランソワ自身だけでなく、24人の生徒全員が演技者としては「素人」。しかし、その演技はとても演技とは思えないリアルさで(この映画の魅力と価値はまさに彼らにある)、本当のドキュメンタリーを見ているようでした。

その生徒たちがまあ、とにかく凄いんです。
問題児ばかりで、席につかせ、授業を始めるのにさえ時間がかかる。
何かを言えばフランソワの揚げ足を取り、反論する。時に汚い言葉を発してはフランソワを怒らせ、謝れと言っても謝らず、無礼な態度をとり続ける。
見ているこちらも何度イライラしたことか(笑)。一筋縄ではいかない、とはまさにこういうことを言うのかなあと。。

フランソワが担当するクラス(教室)だけでなく、職員室ももうひとつの舞台として描かれているのですが、生徒たちの悪態に怒りをぶちまける教師の姿も描かれます。
彼らの怒りや苦悩には同情してしまいます。教師も所詮人間。完璧なんかではない。「いい大人」でもない。
それはフランソワも同じで。
生徒たちの揚げ足取りに反発し、授業を中断して言い争いをすることなどしょっちゅう(というか、ほとんどそういう場面ばかり)。あるとき、女子生徒に対し「娼婦」という意味がある(らしい)侮辱的な言葉を使ってしまい、クラスを揺るがすような問題を引き起こしてしまいます。

教師の苦悩を見ていると、生徒たちが憎たらしくなってくるのですが、彼らは彼らで大人社会の都合に振り回され、問題を抱えてしまっているようにも見えました。
特にこの作品では、移民の家庭環境に焦点が当てられていました。仏語を喋れない母を持つマリ出身の男子や、実は不法滞在だったという中国人など。
作中でも問題提起されていましたが、学校側がどこまで生徒の家庭に入り込むかで悩むのは、どこの国でも同じなのかなあと思いました。
保護者面談の場面とかね、こちらまでフランソワと一緒にうな垂れてしまうほどでした。

……と、悪いことばかりが起きているように書いてしまいましたが、いいエピソードだってあるんですよ。でもそれがまるでなかったことのように、また対決へと戻っていくんです。
心が通い合ったかと思ったら離れて。それの繰り返し。
女子生徒の友情(あんなに仲良かった二人が急に口を聞かなくなった。何があったんだろうと思っていたら、いつの間にか仲直りしていた……といった日本でもありがちな女子の関係)のように、フランソワと生徒たちの関係も理屈では説明できないような複雑な関係で。

教室自体がそうなんですね。
生徒たちはいくつかのグループに分かれているのですが、瞬間的に一体感を持つことがあったりするんです。でも、やっぱりバラバラに戻る。
まるで生き物のようでした。もぞもぞと狭い袋の中を這いずり回る、得体の知れない何か。
そこには、生徒と教師という血が通っていて。時に静かに、時に激しく波打つ血。
だから、問題ばかり抱えた教室なのに、とても生き生きしているように見えるんです。血気盛んというか、生命力に溢れているというか。

この作品は教育問題を扱うと同時に、言葉の問題にも焦点を当てています。
その見所というかキーポイントとなっているのが、フランソワと生徒たちとの活発な議論(ときに罵りあいに発展)です。
生徒たちの反論はただの揚げ足取りだったりするけど、フランソワも気付かない矛盾をついてきたり、バカにできません。
フランソワは言葉遣いにはうるさいのですが、生徒の意見には耳を傾けようとします。生徒たちも自分の考えや思いをはっきり述べます。嫌なことは嫌だ、と。
何度も何度も手を挙げて発言する生徒たちの姿は、日本の学校ではなかなか見られない光景でした。とにかく言わないと気が済まない、といった感じ。
これは日本社会とフランス社会との違いなんでしょうか。驚きました。
言葉でもってぶつかり合うんです。拳なんぞではありません。

議論の場面を見て、自分の考えを伝えることの大切さと怖さを改めて考えさせられました。
自分の思いを伝えなければ、相手の理解は得られないということを。
そして、言葉の怖さ。
普段いくら気をつけていても、言ってはいけない場所で侮辱的な単語を発してしまう。
フランソワが何気なく言った言葉が問題を大きくしているんです、何度も。フランソワは気付いていないけど、生徒たちはそこに敏感に反応している。
ハッとさせられました。フランソワと生徒たちは同じ教室にいながら、やっぱり違う世界を見ている。

しかし、一番怖いと思ったのは、何も言わないことです。発言を諦めてしまうこと。発言を諦めさせてしまうこと、権力や圧力によって。
口を閉ざしてしまったら、もう理解しあうことはできません。
その悲劇も描かれています。フランソワは生徒から発言の意欲を奪ってしまったんです。

とにかくもう、問題児ばかりのクラスの行く末が気になって、目を離すことができませんでした。集中力が途切れがちなこの私が(苦笑)、2時間20分という長さを感じることなく見入ってしまいました。最後の最後までハラハラする展開で。
でもそれはあくまでも日常なんです。特別な何かが起きているようで、起きていないようで。
何事もなかったかのように一年は終わります。それはハッピーエンドでもなんでもありません。彼らの生活はこれからも続いていくから。
とりあえず一年終わった、そんな感じです。

ラストはショックでした。終業式の日なんですが、フランソワはこの一年で学んだことを生徒たちに尋ねます。
生徒たちは思い思いに、地理でプレートのことを習ったとか、音楽でリコーダーをやったといったことを嬉しそうに話してくれます。
そしてひとまず別れを告げ、生徒たちは教室を出て行くのですが、最後に一人の女子が残ります。そしてフランソワにそっと近寄り、告白するんです。

「私は何も学んでない」と。

フランソワは「何かあるはずだ」とか「それは言葉の問題か?」と尋ねるのですが、生徒は授業の内容が理解できない、ついていけない、と言うんです。
でも、(進学できない生徒が行く)就職コースには行きたくない、と。

いくら教師が一生懸命教えても、生徒がついていこうとがんばっても、限界がある。それはフランソワもわかっているのですが、面と向かって生徒から言われたことに少しショックを受けていたように感じました。私もショックでした。こう言われてしまったら、教師はどうすればいいの? と。
フランソワは「あと一年あるからがんばれ」と言っていましたけど、最後に究極の難題を突きつけられたように感じました。

本当にいろいろと考えさせられる作品です。教育問題に限らず、移民などの社会問題も含めて。
深刻ではありますが、それでも「面白い」と思わず唸ってしまうのは、24人の生徒たちの力だと思います。
とにかくパワフルで、可愛いところもあるなと思ったら、やっぱり憎たらしくて。「いい加減にしろ!」と怒りたくなるほどでした。どうしてあんな表情ができるのか。
このリアリティは見事としか言いようがありません。
いや~、あっぱれな生徒たちでした。

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