佐藤泰志『海炭市叙景』

昨年末に公開された映画『海炭市叙景』の原作(同名タイトル、佐藤泰志・著)を読みました。

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著者の出身地である函館市をモデルとした地方都市“海炭市”に住む人々の日常生活を描いています。
18の短編の連作で、二章に分かれています。それぞれが独立した物語となっていますが、若い兄妹の悲劇(「まだ若い廃墟」)を軸に繋がっている第一章のほうが読み応えがありました。

時代は80年代後半のバブル期。ですが、海炭市のような地方都市はバブルの恩恵を受けていないというか、崩壊の足音が聞こえ始めているような閉塞感が漂っています。映画では現代の設定でしたが、20年前を描いた小説も現代に共通する内容で、現在地方が抱える問題が根深いことを感じさせます。
地方に住んでいる人間ならば知っている風景が、全編に広がっています。
「地方」以外にもう一つのテーマとなっているのが「労働」です。
すごいなあと思ったのは、リストラされた青年や偽名で働く前科者から、暇を持てあます役人まで描いていることです。そこに「仕事=生き甲斐」という考えはほとんどなく、あくまでも生活していくために働く人々の姿があります。

18の物語の中で、特に心が揺さぶられたのは、二人で慎ましく生きる若い兄妹に訪れた悲劇「まだ若い廃墟」、前科を隠しながらパチンコ店で働く中年男性を描いた「夜の中の夜」、路面電車の運転手の視線で描かれた海炭市の「週末」。
描かれているのは「ある一日」ですが、それまで彼らが生きてきた人生が見えます。他人から見たら何でもない日々も、当人にとっては大切で、欠かせないもの。
読後には、人生のわずかな時間が愛おしくてたまらなくなります。

働く“女”たちの物語も面白いです。

場末のバーでのある夜を描いた「裸足」は、下品であけっぴろげな夜の女たちの逞しさがどこか心地良く、嫌いになれません。

墓地公園管理事務所で働く若い女性の非道徳的な一面を描いた「ここにある半島」は、自分の経験と重なるものがあって、心にどんより残っています。

「昇った夜」は、上京を夢見る18歳の女の子が主人公。上京のために空港のレストランで働き、お金を貯めている彼女が見たのは、海炭市を故郷とする“首都”(実は“東京”とは書かれていません)の人々。空港という場所に集う様々な人生と、まだ若い彼女がその重さに驚き、戸惑う姿が描かれています。
短いながらも、深みと重みを感じる作品となっています。

そして、“女”の物語として外せないのは、「ネコを抱いた婆さん」。
世間から疎まれながらも意志を貫く“婆さん”。映画では孤独に生きる人として描かれていましたが、小説では息子夫婦と暮らし、畑や動物たちに囲まれて、割と楽しく生きているようにも見えます。
孤独がテーマだった(と私は感じた)映画と違って、小説は“繁殖”がテーマ。兎や豚の繁殖の話を繰り返し書きながら、最後に今は亡き夫との熱い夜を思い出すラストが好きです。
「小娘のように」夫との夜を思い出す70歳の婆さん。出産ができるのは女だけ。女の強さを垣間見た作品でした。

ほとんどの物語で三人称・一元視点(主人公視点)が使用されていますが、主人公視点で始まったものが終盤に唐突に別の人間の視点に変わり、見えなかった事実が突然明らかになる「裂けた爪」「衛生的生活」は、異色でした。
視点が前触れもなく変わる形式はおそらく初めて読んだと思います。びっくりしました。それまで抱いていた主人公への感情もそこで正反対にひっくり返ってしまい、ちょっといじわるな書き方だなあなんて思ってしまいました。
後味が悪いのですが、でも作品として嫌いになれないところがあります。物事は一面だけでは語れないからです。
他人の視点に寄って初めて浮き上がった事実に、主人公への同情と共感がスッと消えていきました。独りよがりになるな、と言われたようでした。
あくまでも一人の視点にこだわった物語が多い中で、こういう作品を数編入れていることには、意図……というより意味があるのだろうと思いました。

映画も素晴らしい作品ですので(映画の感想はこちら)、映画とあわせて読むことをお勧めしたいです。
私は先に映画を見ていたので、小説を読み始めたときは映画との設定の違いに戸惑ったりもしたのですが、読み進めるうちに、映画の良さも小説の良さもわかってきました。
どちらが先がいいかは判断しかねますが。

希望の見えない物語もありますが、「がんばろう」と生きていく力をもらえる作品です。

海炭市叙景 (小学館文庫)
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