『特別な一日』

ソフィア・ローレン、マルチェロ・マストロヤンニ共演、ファシスト政権下にあるイタリア・ローマで、二人の男女が心を通い合わせた一日を描いた傑作です。
(ネタバレあり。)


※  ※  ※

知っていることは主演二人の名前だけ、という知識も何も全くないまま、偶然たどり着いた無料動画配信サイトで鑑賞。何となく見始めたのですが、冒頭からあっという間に引き込まれました。
男と女、異性愛と同性愛、結婚と独身、政治。
様々な問題がたった一日の物語に凝縮され、ただの男女の愛を超えた、深い物語。主演二人の演技も素晴らしく、すべてにただただ圧倒されました。

舞台は第二次世界大戦勃発直前のローマ。ヒトラー訪問という「特別な一日」を迎える静かな朝から物語は始まります。
コーヒーを片手に家族を起こしに部屋を回る主婦アントニエッタ(ソフィア・ローレン)。一人、二人、と子供たちの部屋を回りますが、それがなかなか終わらない。まずは子供の多さに驚くんですね。アントニエッタは6人の子供を持つ主婦。そして、お世辞にも素敵とは言えない、髪の薄い、体も締まりのない夫。ずっと片手に持っていたコーヒーは夫のものでした。目覚めの一杯、なんでしょう。
夫のコーヒーを用意し、子供たちを起こし、服を着替えさせ、食卓につかせ、会社や学校に(この日は凱旋パレードに)送り出す、忙しい主婦の朝。
アパートのほとんどの住人が意気揚々とヒトラー凱旋パレードに出かける中、アントニエッタはパン屑のちらかったテーブルを眺めます。
アントニエッタの「朝」は、まだ終わりません。

ところが、飼っている九官鳥がちょっとした隙に逃げ出したことから、彼女のいつもの一日が「特別な一日」へと変わります。
窓から飛び出した九官鳥は、向かいの建物にとまります。その近くの部屋に男性の後ろ姿を発見したアントニエッタは、彼の部屋を訪れ、彼と一緒に九官鳥を無事捕まえます。
その男性が、マルチェロ・マストロヤンニ演じるガブリエレです。
赤いベストにネクタイを締め、髪もしっかりセットした品のある身なりに、穏やかで紳士的な振る舞いを見せるガブリエレ。
日々の生活に追われて忘れていたものを、アントニエッタは思い出します。

ガブリエレもアントニエッタを気に入ったようで、九官鳥を自宅へ連れて帰った後、今度はガブリエレがアントニエッタの部屋を訪れます。
この時点で、見ている側は二人が結ばれるのか結ばれないのか、それが気になっていくんですね。
二人が互いに気になっているのは事実。そのような素振りをちらちらと見せる。
でも、触れそうで触れない。相手の様子を探りながら、しかし決して自分から求めることはしない。

いつの間にか二人が結ばれることを期待しながら見ていました。
特に、理性と感情の間で揺れ動くアントニエッタが素晴らしいです。素敵な(恋愛の対象となる)男性が目の前に現れて、鏡を確認しないわけがない。その時にできる自分の精一杯のお洒落をしようとします。
汚いサンダルを黒のパンプスに履き替えて、コーヒーをいれる振りをして洗面台へ行き、鏡をチェック。色気のない唇を見て口紅を手に取るものの、塗らずに置くのもいいですね。ヨレヨレの普段着にすっぴんの彼女。この格好に赤い口紅は似合わない、不自然なんです。その判断力もまだ失っていない。
そしてボサボサの髪の毛も申し訳程度に整えて、部屋に戻ります。
ガブリエレは、部屋に戻ったアントニエッタの髪型をすぐに褒めます。この辺り、彼の優しさを感じました。彼は最後まで、優しいですね。

実は、ガブリエレはゲイです。
電話で「友人」マルコと話している場面や、アントニエッタ手作りのムッソリーニのスクラップブック(彼女は熱狂的なファシスト)に書かれていた「夫、 父、 兵士でない男は男ではない」というムッソリーニの言葉にほんの一瞬戸惑いを見せる姿。
決定的な事柄はないものの、「そうなのかな」と思わせるシーンがいくつかあります。(それでも二人が結ばれてほしいという思いが募っていく)
それが明るみになるのが、アパート屋上での最初のラブシーン。
洗濯物を取り入れるためにアパートの屋上に駆け上がるアントニエッタ。彼女を追ってきたガブリエレに、アントニエッタはとうとう愛を告白します。自ら体を寄せ、彼の唇を奪います。
白いカーテンが風に揺れる中、重なる二人。
見ているこちらも、緊張感とときめきに胸が高鳴るのを抑えられませんでした。
そして、ガブリエレの反応。
やはり彼はゲイでした。唇が重なり、求めあうような激しいキスになるのかと思いきや、何の反応もありません。
ときめきと期待が一瞬にして驚きに変わり、そしてこの映画はただの恋愛映画ではないということに気付かされ、映画に対する意識が変わっていきます。

ガブリエレの告白に動揺するアントニエッタですが、彼女の彼に対する思いは変わりません。
屋上で別れ、それぞれの部屋に戻りますが、アントニエッタは再びガブリエレの部屋を訪れます。
ガブリエレがドアを開けて、そこにあるのはアントニエッタの後ろ姿。
覚悟を決めた彼女の、凛とした姿。ここも素晴らしいシーンです。

アントニエッタは、夫が小学校教師の女性からラブレターをもらっていたこと、自分には学がないからそんな手紙など書けないことを告白します。
学校にもろくに行けず、おそらく恋愛らしい恋愛もしないまま結婚し、家事をしながら求められるままに子供を産み、育てるだけの日々を過ごしてきたアントニエッタ。
そんな彼女が、同性愛差別の酷いファシスト政権下で、死をも見つめながら生きているガブリエレに出会った。
互いに誰にも伝えられなかった思いを吐露し、心を通わせた二人は、とうとう肉体的にも結ばれます。
終わった後、すっきりとした表情で女性の美しさを取り戻しているアントニエッタ。
アントニエッタに押し倒され、驚きと戸惑いと複雑な表情を見せていたガブリエレは、終わった後もなお変わらず、「女性とこういうこともできるが、それでも僕は変わらない」と、告げます。
しかし、彼は「素晴らしかった」とも言うんですね。この一言に、彼の優しさを感じました。
きっと彼は、女性としてというより、一人の人間として、アントニエッタを愛しく思う気持ちがあったのではないかと思います。息苦しい日々を送っている彼女に、これからもがんばって生きていってほしいという思いもあったのではないかと。

その夜、ガブリエレはアパートを発ちます。
ファシスト政権下で、ゲイは差別され、サルデーニャ島へ島流しにされていました。ガブリエレも同じで、二人が出会った日はその前日だったんです。
ガブリエレと過ごしたひと時で自信を取り戻したアントニエッタは、夕食時の夫の下品なジョークもさらりとかわし、夫の待つベッドへは向かわずに、ガブリエレの部屋が見える窓際でガブリエレにもらった『三銃士』を読み始めます。
その拙い音読からは、少しでもガブリエレに近づきたいというアントニエッタの思いを強く感じました。
しかし、彼女はガブリエレが荷物をまとめ、部屋を出ていく姿を見つけます。
おそらく彼女は、ガブリエルにこれから起こる悲劇をわかっていません。でも、ガブリエレに会うことはもうないであろうということは察します。
ガブリエレの姿を見届けたアントニエッタは、すぐさま本を閉じると、食器棚に戻しました。そして、彼女が部屋着を脱ぎながら寝室へと向かうところで映画は終わります。
ガブリエレに会えないということは、もう『三銃士』は必要ないのか…。無学のアントニエッタの哀しさが残るラストシーンでした。

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希望の見えない人生の中に訪れた「特別な一日」。
「主婦」と「ゲイ」という違う立場にある二人。本人たちが思っているよりずっと大きな壁が、両者の間にはあるようにも思います。それでも、小さな隙間から、二人は心を通い合わせました。
音楽はなく、凱旋パレードの熱狂ぶりを伝えるラジオ音声がずっと流れています。常にファシズムを意識させることで、ファシズム政権下の悲劇である点もさりげなく強調しています。
始まりは淡いときめき(恋)ですが、それを超えた、歴史の中に埋もれがちな名もなき主婦と、被差別者であるゲイの男性の哀しい物語。

一つ一つのシーン、セリフ、表情、ちょっとした仕草まで、どれもこれもが素晴らしいです。
「こんな映画が見たかった」と思える作品でした。

『特別な一日』
1977年/イタリア・カナダ/110分
監督:エットーレ・スコラ
脚本:エットーレ・スコラ、マウリツィオ・コスタンツォ、ルッジェーロ・マッカーリ
製作:カルロ・ポンティ
出演者:ソフィア・ローレン、マルチェロ・マストロヤンニ 他

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