山本作兵衛の炭坑画を通し、福岡の炭鉱の歴史から、世界遺産を語り継いでいく意義と難しさまで、広い視野で炭鉱の歴史と向き合える、見応えのある展示会です。
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今日は福岡市博物館で開催中の『世界記憶遺産・山本作兵衛の世界 ~記憶の坑道~』に行ってきました。
福岡県の歴史から避けては通れない炭鉱ですが、興味がありながらも、なあなあになってました。筑豊まで足を運ぶのも億劫で。。
そんな中、先日図書館に行った際、隣接する博物館でこの展示会が開催されていることを知りました。山本作兵衛の絵はその多くが田川市の田川市石炭・歴史博物が所蔵していますが、その田川市の施設でも実施されたことのないという大規模な原画展示会ということで、行くことに
。
序章・筑豊へ
展示会のタイトルは山本作兵衛の名前を冠していますが、作兵衛の炭坑画が展示されているだけではありません。
まず入場者を待っているのは、大きな石炭の塊。かつては「黒いダイヤ」と言われた石炭ですが、その言葉を思い出す光具合でした。これは触ることができるので、触ってきました(手は汚れないので大丈夫)。
その黒いダイヤのバックには、坑内に向かう一人の炭坑夫の写真が飾られていました。展示室は全体が黒い壁で覆われていたので、炭鉱の坑内に見立てていたのかもしれませんね。
最初に飾られていた絵は、山本作兵衛の絵ではなく、福岡県出身の画家・野見山暁治の2点の洋画でした。
そのうちの1つ『ベルギーのボタ山』。作品に対する作者の文章も紹介されていたのですが、ヨーロッパでボタ山を見た時の胸中を語った文章が、とても印象に残りました。
その後、昭和初期の飯塚市・若松市(現・北九州若松区)・直方市の鳥瞰図や、九州と炭坑に関わる資料の展示があり、石炭最盛期に、いかに九州の、筑豊の石炭が日本の工業発展に大きな役割を果たしていたかがよくわかりました。
第1章 炭鉱と生きる
山本作兵衛の絵と共に、採炭の道具などを紹介するコーナー。
明治から昭和初期にかけてはまだ採炭も人の手で、わらじを履き、ツルハシを抱え、カゴを持って坑内へと入っていたようで、当時の様々な道具が展示されていました。工業化されてからのドリルの展示もあり、とても興味深かったです。
女性も腰巻一枚で坑内に入っていた時代があり、その腰巻の展示も。作兵衛が描いた作品の中にも、腰巻を巻き、上半身裸で作業する女性を描いた絵がいくつもありました。
第2章 再生する記憶
昭和30年代からのエネルギー革命により、石炭から石油へエネルギー源が変わる中で、多くの鉱山が閉山していきました。
作兵衛が炭坑画を描き始めたのも、そんな頃。閉山した炭坑の夜警となった作兵衛は、深夜一人で宿直室にいると戦死した息子のことが思い出され、その悲しみを振り払うかのように絵に没頭したそうです。
しかし、それは悲しみを振り払うためだけでなく、時代の流れにより消えていくヤマを目の前に、そこで生きてきた自分自身や仲間たちの人生を、歴史の中に埋もれさせてはいけないという、ある意味使命感のようなものがあったのではないかと思います。
とても印象に残った、作兵衛の詩があります。
ボタ山よ 汝人生の如し
盛んなる時は肥え太り 山止んで日日痩せ細り 或いは姿を消すもあり
あゝ哀れ悲しき限りなり
また、作兵衛はこのようにも語っていたようです。
文章で書くのが手っ取り早いが、年数が経つと読みもせず掃除の時に捨てられるかもしれず、絵であれば一寸見ただけで判るので絵に描いておくことにした。
彼の絵は技術的にはお世辞にも優れているとは言えませんが、そのことに意味はなく、彼が残したかったのは「炭坑で生きた人々の記憶」でした。
彼の年表も展示されていたので読みましたが、本格的に絵を描き始める前から、炭坑の記録を残そうとしていたようです。原稿用紙約1500枚に炭坑の記録文を書いて周囲の嘲笑にあい焼却した、という話などもありました。
このコーナーで展示されているものの中で特にインパクトの強いのが、作兵衛の絵に魅せられた画家・菊畑茂久馬と、現代思潮社美学校の生徒たちによる作兵衛炭坑画の模写壁画です。
全部で9枚になるその壁画は、横に並べると18メートルにもなり(高さは2メートル60センチ)、とても見応えがありました。
これは第3章、4章にも繋がっていくのですが、作兵衛が歴史に埋もれさせないために炭坑の記憶を描き続けたように、彼の作品が消えてしまわないように守り続けた人々もいた(いる)んですね。
今でこそ誰でも映像や音声を記録できる時代になりましたが、かつては誰かが書かなければ記録として残ることはなく。そして、例え記録を残したとしても、多くの人の目に触れることがなければ、歴史として語り継がれていくことはない。
世界遺産は最近では町おこしと結び付けられることも多く(マスコミもぎゃーぎゃー騒ぐし)、私も半分は懐疑的な目で見ていたのですが、今回の展示会で「遺す」ことの意味を考えさせられました。
第3章 世界記憶遺産―山本作兵衛炭坑記録画
普通のスケッチブックに書かれた墨画から、炭坑の記憶を残すことを目的に描きはじめた彩色画まで、多くの作兵衛作品の原画を堪能できます。
坑内での危険な作業の様子から、炭坑夫やその家族たちの日常まで、本当に多くの作品が並びます。そこには負の面を描いた作品も少なくありません。
第4章 「崩壊する紙」を再生する
作兵衛の絵は広く流通していた一般的なスケッチブックに描かれているのですが、それが「保存」という作業に難題を突き付けているようです。このコーナーでは、劣化しやすい紙に安い筆記用具で描かれた作品を、いかにして守っていくかが取り上げられていました。
映像もあり、失敗の許されない繊細な作業に取り組む専門家たちの姿には見入りました。
第5章 再び筑豊へ
作兵衛の作品とともに、炭坑の歴史を伝える福岡県内の施設などを紹介するコーナー。
炭坑の記憶に触れ、次は現地へ足を運んでみませんか。という感じで、観光パンフレットなども置いてました。
第6章 炭坑に敬意を!
このコーナーでは、スポーツを通して、炭鉱が街の誇りであったことに触れます。
まず出てくるのが、ブンデスリーガのシャルケ04。あまり海外サッカーには興味がなく、初めて知ったのですが、シャルケは元々炭鉱のクラブで、今でも選手たちが坑内に下りるセレモニーがあるんだそうです。ピッチへの通路を坑道に見立てたポスターの展示もありました。(これ(シャルケの公式サイトより))
筑豊からは、社会人野球で活躍した日鉄二瀬(現・飯塚市)の話が。当時の新聞記事(複製)が展示されていました。
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がっつり書いてしまいましたね。。
入場した時に出品リストをいただいたので、リストを見ながら書きました。このようなリストが手元にあると、展示会の内容を振り返りやすくて、いいですね。
展示会の公式サイトは主催者に名前を連ねるRKBのサイトになりますが、あまり大した情報は載ってません^^;
作兵衛画については、田川市のこちらのサイトがとても詳しいです。作兵衛の作品も多く紹介されており、今回の展示会と内容が被っている部分も多いかも。。
でも、坑内に見立てた(?)会場に足を運び、実物を生で見るほうがより多くのことを感じ、学べると思いますので、興味のある方はぜひ行かれてみてください。
今月26日までです!