日記とコロナの話

今年に入って、日記を書き始めた。

「ちょっとした」日記を書こうと思ったのは昨年。例年より大きめの手帳を買い、その日の出来事や思ったことを簡潔にメモ欄に書き残していた。学生時代も似たようなことをやっていたので、少し懐かしさもあり、時折書き過ぎては翌日の欄まではみ出してしまうこともあった。
今年も同じように書こうと思い、同じような形の手帳を買った。ただ、メモ欄だけでは物足りないかもしれないと思い、思い切って日記用にA5サイズのルーズリーフを購入。カバーは黒と青のシンプルなデザインのものにした。

1月1日から1日も休まず書き続けている。
複数ページに渡るほど書きなぐる日もあれば、たった1行で終わってしまう日もある。
365日休まずに書き続けられたら1冊の本が出来上がるくらいのページ数になると考えると、がんばって書いてみよう、などと思ってしまう。

私はある考えが思い浮かぶと、いつまでもそれが脳内で暴れてしまい、他のことが手につかなくなってしまうことがある。囚われやすいというか、執着しやすいというか……。
日記をつけ始めて、そのやっかいな症状が少し緩和されているように思う。心の中を整理する、という意味で、目に見える形で書き残すことの意義を思うこの頃だ。

個人的な日記なので、当然他人には読まれないことを想定して書いている。けれど、形に残している以上、「誰かに見られるかもしれない」可能性もある。
嘘なんて書く必要はないから、書いている気持ちはすべてありのままのもの。ただ、わずかな可能性を考えて、人の名前などは極力伏せているし、絶対に誰にも知られたくないことは書いていない。
心に溜め込んでいるものをすべて吐き出せる場所と言えるかというと、そうとも言えず。
何を書いて、何を書かないか。筆が止まることもある。

古くはタイプライター、ワープロ、いまはパソコンやスマホの普及が進み、筆記用具を持たずに文章を書くことができるようになって久しい。
私自身、日常生活で筆記用具を持って文字を書く機会が極端に減っていた。毎日日記をつけるようになって、「自分の手で文字を書く」という行為の楽しさも感じている。悲しいことに、字が汚いのであまり読み返したくはないのだけれど。

2023年が終わる頃、私の日記は一体どんな一冊になっているだろうか。
楽しみなような、そうでないような。
そして今日も書く。

実は、先週から発熱で1週間ほど寝込んでいた。
PCR検査を受けたところ、新型コロナウイルス感染症の陽性判定を受けた。
幸いにも症状は重くはなく、自宅療養。市販の薬を飲み続け、なんとかやり過ごした。

症状で辛かったのは号泣してしまうほどの激しい悪寒と、今もまだ続いている喉の痛み。
あと、驚いたのは体重が4キロ近く減ったこと。食欲はあり、毎日3食必ず食べていたのに、するすると落ちていった。
病気や怪我とはほぼ無縁の人生を歩んできたので(病歴に書く病名はいつも「鬱病」だけ)、病に罹るとこんなに簡単に体重が落ちるのかと、素直に驚いてしまった。

コロナ禍となって3年が過ぎたが、初めての感染だった。
マスク着用に手洗い・うがい、他人よりずっと真面目にやっているという自負はあったのだが。
自分の回復よりも周囲の反応のほうが気になってしかたない(実際にいろいろと迷惑をかけてしまった)。厄介な病だ。
皆さんもお気をつけて。

2 comments to “日記とコロナの話”
  1. コロナ感染、大変でしたね。お見舞い申し上げます。感染した人の多くは喉が異常に痛かったと話しています。体重減は体力低下にも繋がりますので早く完全復活してくださいね。
    日記を書くことで自分を見つめなおすことにもなりますから有意義ですよ。実は私は小学校時代の想い出を元に小説を書き始めました。稚拙なものですが文章を書く楽しさを久しぶりに味わっています。

    • miyupapaさん、お気遣いいただきありがとうございます。
      喉の痛みはコロナの特徴のようですね。だいぶ良くなってきましたが、完全に治るまでにはもう少しかかりそうな感じなので、無理なく過ごしたいと思います。

      一日の最後に日記を書くことで気持ちが整理でき、少しすっきりして眠れることができるようになった気がしています。
      miyupapaさんは小説を書かれているんですね。完成されたら、ぜひ拝見したいです^^

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