やっと観ました、『スパイダーマン3』。
今作は敵の出現が唐突だった感も否めないものの、主要キャラクター(パーカー、ハリー、MJ)の描き方は前作同様良かったです。
演じた3人の演技も良かったです。特にパーカーとハリーの2人(役者名忘れました)は、それぞれ2つの顔を上手に演じ分けていて、とても魅力的でした。
前作では、ヒーローと、1人の人間としての自分の間で苦悩するパーカーが描かれていましたが、今回はさらに深いテーマがあったように思います。
「自分の幸せの下には他人の犠牲がある、自分はいつも周りの人達を傷付けながら生きているんだ」
観終わった後に強く感じたのはそれでした。
まさしくそれがテーマだったように思います。
ちょっとした一言や態度から相手を傷付け、すれ違っていく。
これって気を付けたくてもなかなか気付くことができないんですよね。いつも必ず相手より自分のことを考えてしまって、そうするとやっぱりいつの間にか相手を傷付けていたりして、そのことに気付くのは随分後であったり。
映画の中で描かれていたパーカーとMJのそんな関係が、とても身近な出来事のように感じました。
アメコミの世界なんですけど、観ながらそのことを忘れてしまうのは、やっぱりキャラクター達がとても人間臭く描かれているからなのだろうと思います。
ハリウッドの超大作映画でありながら、人間ドラマの要素も兼ね備えている良い作品です。
ただのアクション映画としても随分楽しめますので、まだご覧になったことのない方にはぜひお勧めします。
シリーズ1作目からどうぞ!
スパイダーマン3は観てませんが、1と2は観ました。いずれも珍しい高評価作品です。
おっしゃられているように、結構、人間くささの描き方がいいですよね。
サムライミ監督って、当初はゾンビもの、スプラッター映画だったりするんですが、この人の作品を観てスプラッターの解釈が変わりました。結構、ギャグの要素を入れて猟奇性の演出を抑えるように工夫されてますし。
ゾンビも恋人がゾンビになって、それを切り刻なければならない主人公の心の葛藤だったりするんですよね…。ホラーの要素がキチンとあるといいますか。後発のスプラッターは「気味悪さ」ばかりがクローズアップされてるかも知れませんが、この監督の古典的なスプラッターは評価せざるを得ない感じです。
>メロンぱんちさん
監督さんはゾンビ物を手掛けていた方なんですか!
『スパイダーマン』を観る限りではそんな感じは全然受けませんでした。
スプラッターものでも人間を描いていたんですね。
私はグロテスクなものが苦手でそういう映画は避けているのですが、そういう作品であるなら観てみたいかも(^O^)/
パーカーとMJの擦れ違いの部分ですが、正直、パーカー側の視点でした(汗
「なんでスネちゃってんだよー」って。結構、繊細な描き方なんですよね。MJ自身が仕事面で凹んでいるところにきて、片や人気者になってしまい距離を感じてしまう…という。
それとですね、クライマックスに設定してあったと思うんですが、オジを殺害した犯人に対峙したパーカー。さまざまな葛藤の挙げ句に出した最後の答えは『ゆるす』でしましたよね。
「赦してもらえるはずはないけど、判って欲しい。殺す気はなかったんだ」という告白に対して、「赦す」という決断。
う~ん。この【赦す】に唸らされました。
目に見えない部分で語られる天才監督は沢山いるんですが、私の場合、この監督さんは目に見えて凄味を感じます。
が、グロテスクな描写があるので苦手ならおススメしません(汗
>メロンぱんちさん
おばあちゃんははじめから赦していたんですよね。
パーカーが犯人に復讐できたと喜んでいたら、おばあちゃんが「何を言ってるの?」といった顔で「復讐なんか望んではいけない」というようなことを言ったんですよね。その時のパーカーの何とも言えない表情が印象に残っています。
おばあちゃんの存在も大きかったですよね。
グロテスクな場面もあるんですか~!
うーん…どうしようかなあ(^_^;
…と、おばあちゃんではなく“おば”さんだったんですね(汗)。
女優さんが年齢的に結構お年を召した感じだったので、ずっとおばあちゃんだと思ってました(ちゃんと観てないのがバレバレ(^◇^;)。
あ。ついで一つ、いいでしょか?
スパイダーマンに登場する俳優さんって、なんというか、こう、正統派の美男美女が極端に少ないんじゃないかって、思ってまして。
トビー・マグワイヤにしても、実際にはイケ面だと思うんですが、パーカーはあんまりイケ面に感じないんですよね。日本人の感覚からすると、クセがあるだけなのか、或いは狙いなのか…。
しかも登場人物の全てが全て、どうにもアクの強い人相に思えて仕方ないんです。MJはチャーミングに見えることもありますが、二人で奪い合う感じの美女かと云われると、ちょっと違うような気もしますし。つづく
整い過ぎた美男美女を敢えて外してキャスティングしたのかと勘繰ってるんですが、何分にも外人さんの顔ってピンと来ないんですよね。それこそメリル・ストリープの顔って、日本人は好まないなんていう意見も聴いたことあるから、そういう日本人的なズレかなとも思えますし…。
ご意見などうかがえたら幸いです☆
>メロンぱんちさん
そういえばそうですね~!全然気付きませんでした。
敢えて美男美女を外したというよりは、オーディションをして選んだ俳優さん達がたまたま(整いすぎた)美男美女ではなかったということだと思います。
ハリー役の方は最初パーカー役のオーディションを受けたけどハリーとして採用されたそうです。
俳優のイメージ(顔や人気度)で観客を呼ぶのではなく、作品そのもので勝負したのでは…?
(続く)
それにこの作品は天下無敵のスーパーヒーローというよりは、普通の冴えない青年がある日突然ヒーローになってしまい、その中で苦悩する話なので、特別な美貌はいらないような気がします。
MJも映画のヒロインというよりは、パーカーとハリーにとってのヒロインであって、そこには我々観客が一目惚れするような美貌ではなく、3人の間で培われてきた歳月とかその間育まれてきた恋愛感情のほうが重要なのではないかと思います。
ハリーが記憶喪失の時に傷心のMJを家に招き、2人で料理をしていた場面がありましたが、あの場面のハリーの嬉しそうな表情や、友情と恋愛感情の狭間で戸惑うMJはとても良かったです。日常ってあんなものだと思います。
あの2人が絶世の美男美女だったら、観客の見方もまた変わる気がします。
あと思ったのは、ハリウッド俳優って意外と整いすぎた顔の方は少ない気がします。少なくとも売れてる方は皆アクが強い。
すみません、長くなってしまって(^_^;
美貌だけいいのではやはり売れないんだと思います。
ブラピにしろディカプリオにしろ、かっこいいんですけど端正な顔立ちではないんですよね。
逆に端正な顔立ちなんだけど、テレビ向けのスター(ちょっと安っぽく)に見えてしまう人もいたりして。
メリル・ストリープにしろ、求められるのは演技と存在感なのかもしれないです。
(あと少し続きます)
日本でも活躍されてるベテラン俳優さん達に美男美女はそんなに多くない気がします。結局俳優として生き残っていくには美貌よりも俳優としての力量が必要なわけで。
美男美女が皆下手というわけではないでしょうが、顔がいいばかりに幅広い役ができなかった人もいるかも…?
若手は外見や人気、事務所の力などでドラマや映画に出てますけど、数十年後も俳優として残っているのは少ないかもしれません。
やはり世界を相手にする人達はキャスティング一つとってもこだわるのでしょうね(本来はそれが当たり前なんですけど、汗)。
日本でもテレビドラマの延長的な映画と、本当に映画で勝負してる監督さんの映画では俳優さんは違います…かね?(←よく知らない、苦笑)
…と、随分長くなってしまいました!申し訳ないです。
勝手に解釈して書いてしまいました。こういう考え方もあるのか、という程度に思ってくださ~い(汗汗)。