共有と熱狂への嫉妬~マイケル・ジャクソンの死に思う

マイケル・ジャクソンが死んだなんて。
朝から何の冗談かと思いました。家を出る直前までニュースを見続けて、職場でも昼間にニュースサイトで関連記事を読んで、帰ってきてからも彼の死を伝える映像を見ながら涙ぐんで、夜はネットで彼を偲ぶ人々の悲しみと、彼の輝きに触れていました。

私が生まれた1982年に(しかも私が生まれた月の前月のようです)、アルバム『スリラー』が発売されています。つまり、彼の全盛期を私はリアルタイムで観ることなどできませんでした。
私がやっと音楽を聴くようになった90年代後半になっても、「マイケル・ジャクソン」という名前は知っていたけれど、彼の音楽を進んで聴くことはありませんでした(もちろん、耳にはしていたでしょう)。
何となくですが、友人達と「マイコー」ってふざけあっていた記憶もないでもないです。でもこの頃は彼のスキャンダラスな部分しか知らなかったかもしれない。

私が洋楽を聴くようになったはトム・クルーズのファンになり(彼が『トップガン』で一躍トップスターとなったのは86年だった)、英語に興味を持ち始めたのがきっかけでした。我が家はお小遣いなんてなかったのでCDを買う余裕はなく、ラジオを聴いて洋楽に触れました。
中でも80年代の洋楽特集の影響は大きかったです。幼少な当時は聴いていたはずもないのに懐かしさを感じる80年代のメロディに、すっかりハマって。80年代のPVもCSの音楽番組などで夢中になって観ました。

マイケルの凄さを知ったのはその時でしょうか。『スリラー』のダンスと彼の歌声と、とにかくかっこよくて。「フゥ!」とか「アォウ!」とか、こうして書くと笑っちゃうけれど、実際に聴くとめちゃくちゃかっこいいんですよね。一緒に心の中で叫んでしまう←実際には叫べない(笑)。
彼の代名詞でもあるムーンウォークや、その他の動きも、一つ一つが絵になって芸術的でさえあって、ただただ見とれてしまいます(足の動きとか凄いです)。まるで機械のような正確なリズムと動きなんだけれど、機械にはできない動きであって、何て言うか、というか、完璧過ぎて何も言えない。

突然の訃報が世界中を駆け巡り、世界中の人が涙し、彼の凄さに改めて驚愕しながら悲しみに耽っている。
私もだらだらと書いてしまったけれど、正直に言うと、彼が世界を席巻した当時にリアルタイムで彼を観ていた、彼の音楽を聴いていた世代が羨ましくてなりません。
マイケルの死で「残ったスターは○○くらいか」といった話もされるほど、今世界中が熱狂するスターは存在しません。この先、世界中がその死を悼み、悲しみを共有することのできる人がどれだけいるのだろうかと思わずにはいられません。

生活も社会も多様化し、音楽(ここではポップス等の大衆的なものを指します)の聴き方も音楽に対する考えも変わってしまいました(日本の音楽業界の衰退はよく言われることですが、どうやら欧米でも同じ事が言われているようです)。皆が同じ音楽に耳を傾け、体を揺らす、なんてこともなくなって、日本という一国の中でさえ万人の間の流行はなくて、一部やある層に限定されたものとなってしまっている。
個人の趣味が広がったことはいいことだけれど、マイケルの死に対する世界の反応を見た時に「本当にこれでいいのか」という考えがよぎりました。そして、自身の思い出と重ね合わせて彼の死を悼み、顔も名前も知らない人々とその悲しみを共有している世代を見て、恥ずかしながら嫉妬してしまったのです。

私のこの嫉妬は、マイケル・ジャクソンというスーパースターが巻き起こした旋風と、彼が歴史を変えたその瞬間を見ることのできなかった悔しさもありますが同時に、世界中の人と「時代を共有する」、一つのことに「皆で熱狂する」、そういった経験ができなかったこともあるのだと考えます。だからその経験をした世代がものすごく羨ましい。
この先そういった経験ができないと断言はできませんが(断言してもいいとは思うけれど)、10代や20代前半といった多感な時期に経験しなければ意味のないことのようにも感じるんです。
マイケルの真似をして友達とふざけあった、なんてね、30を前にして初めてやったって意味がないわけで。

同じ世代の人達とスター…ヒーローを共有していたという経験は私にはありません。トムさんだって20歳も年上で、若いアイドルに夢中になる中学生が好きになるような対象ではなかった(笑)。
私の中では彼はいつまでもヒーローだけれど(それこそマイケル程ではないかもしれませんが、様々なスキャンダルは彼にもあって、でもそんなことが霞んでしまうほど彼の存在自体が大きいというか。マイケルの場合も、彼を巡るスキャンダルは気にならないほど彼の凄さに圧倒され、才能に惚れ込んだファンがたくさんいたんじゃないかと勝手に思っています。ファンゆえの擁護とか盲目とか言われたりするけれど)、彼に何かあった時に同世代の人々と悲しみを分かち合えるかといえば、そんなこと有り得ない、に近いでしょう。

自分だけのヒーローは誰にでもいるけれど、皆のヒーローって私の世代にいるのかなって思ってしまったんです。
大袈裟かもしれませんが、80年代や90年代…というか20世紀というのは、世界が時代を共有した最後の時代になるんじゃないかとさえ思ってしまいました。
不謹慎だけれど、20世紀には世界大戦というものもありました。この先世界大戦も起こらない確率のほうが高くて、(もちろん皆が皆というわけではないですが)世界が同じことに巻き込まれ、同じことに熱狂し、同じ喜び、同じ悲しみ、同じ考えを共有するということはこの先あるのかな、って。
今の30代後半(?)~40、50代の人々がマイケルの死に皆で悲しんでいるように、私が40、50になった時に誰かの死で悲しみを共有することなんてあるんだろうかって。しかも世界中の人々と。音楽に興味のない人も洋楽を聴かない人でも大人から子供まで知っている名前があるのかって。
考えてみても、私にはブリトニー・スピアーズくらいしか思い浮かびません。でもはっきり言ってスター性においてマイケルの足下にも及ばない。
国内では浮かばないことはないけれど(以前小室哲哉の話を書きましたが)、国内では意味がない。
歌手に限らなくても、スーパーが前に付くスターなんてもういないんじゃないかと思います。この先誰かが亡くなってその死を多くの人々が一緒に悲しむことはあっても、それは私の青春と重なることなんてないでしょう。それが悔しいというか、寂しいというか。

マイケルほどの「スーパースター」はこの先現れないだろう、と誰もが感じていることは確かでしょう。そのことに寂しさを感じながら(またスーパースターをリアルタイムで見られないことを恨めしくも思いながら)、彼の人生やこれまでのスターが辿ってきた栄光の光と影を見つめた時に、「スーパースターはもう生まれなくていいんだ」と思ったりもします。
人々の夢・羨望・妬みといったあらゆる感情を、そして時代や歴史さえも背負ってしまったマイケルの死を目の前にして、「この人ほど『安らかに眠れ(Rest In Peace)』という言葉が似合う人はいない」との誰かの言葉が繰り返し頭をよぎります。

彼の死は「スーパースターの死」と一言で片付けられるような訃報ではなく、もっと大きな事件でさえあるのではないかって、そんな風に思ってしまうんです。

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