ドラマ『法の庭』

昼間に再放送していたドラマ『法の庭』を観ました。週末の昼間は2時間サスペンスドラマの再放送が多いので、こちらもタイトルからしてそうであるように単発の2時間サスペンスドラマかと思い、観たのですが…。

本放送は2007年の8月だったらしいこのドラマは、フジテレビの公式サイトにも書かれているように、

ドラマスペシャル『法の庭』は、サスペンスドラマでも法廷ドラマでもありません。学生時代を共に過ごし、30代半ばを過ぎた3人の男女が、その生き様を問われる、少しホロ苦い中年青春グラフィティ

でした。

原作はヤングジャンプで連載されていた同名漫画だそうです。
大学の法学部で共に学んだ3人が、それぞれ検事、弁護士、判事となり、10年後法廷で再会するお話です。
正義とは何か、真実とは何か、について語り合った学生時代を思いながら、現在の自分の姿・生き方を見つめるというお話。上記のように法廷ドラマではありませんでした。

主人公の3人はそれぞれ、検事の天海(松雪泰子)、弁護士の小泉(山口智光)、判事の田所(吉田栄作)。
天海は連戦連勝のやり手女性検事。しかし幼い頃の苦い経験を抱えながら、現在の仕事・生き方に迷いを感じ始めています。
小泉は大手弁護士事務所に勤めるものの、「依頼人のために」と無罪を勝ち取るためなら真実もねじ曲げる上司・横山(伊武雅刀)に反発を覚えながらも、流されて生きていて。
2人と対照的なのが田所。温厚な外見そのままに、美しい妻(父親は大物)と可愛い娘に囲まれ、順風満帆な人生を送っている。

そんな3人が法廷で再会することとなります。
軸となる事件は2件。一つ目は、主婦・藤田直子(藤田朋子、本人に名前がそっくり!)が自宅でホストの男性を殺害した事件。もう一つは、アパートで独り暮らしをする宮田恵子という若い女性が殺害された事件です。

まずは1件目。
被疑者の藤田は被害者のホストと面識はなく、彼は強盗で、彼が部屋を物色しているところに遭遇し、揉み合ううちに刺してしまったと正当防衛を主張(本当は嘘なんですが、小泉の上司・横山がそう言わせているんです)。
天海は、藤田はホストクラブに行き被害者と出会い、彼に不倫のことで恐喝されていたため殺した、と確信しています。そして法廷で彼女に自白させようと、彼女に「真実を話して」「刑罰は○○年で終わるけど、嘘は一生続く。家族に一生嘘をつき続ける気か」と詰め寄ります。
しかし藤田は「殺していない」と主張を変えません。結局、天海のその行為は裁判官に悪い印象を与えることとなり、藤田は無罪で釈放されます。

天海がこのような行為を行った裏には、幼い頃母親が不倫をして家庭を捨てたという過去を持つ彼女が、藤田を自分の母親に重ねてしまったという事情があります。天海はそのことを意識していなかったのですが、小泉に指摘されショックを受けます。
「不倫」というのはこのドラマの一つのキーワードでもありました。

また天海は、検察の仕事に疑問を抱いていました。「連戦連勝」と言われるものの、その裏には負けるかもしれない事件は起訴を見送る、といったことも行われていて、本当にそれでいいのかと悩んでいます。
対して弁護士の小泉は(この時点では判事の田所は2人とは少し距離がある感じ。検事の天海と弁護士の小泉が語り合う場面が多かったです)、真実にこだわる彼女に「そんなんじゃやっていけない」と言います。彼も心の中では、真実をねじ曲げても無罪を勝ち取ろうとする事務所に違和感を抱いているのですが、それは仕方がない、それが社会だ人生だ、と自分を納得させようとしています。
この場面で印象的だったのが、小泉の(うろ覚えですが)

「真実だ嘘だと言っても、どちらでもないグチャグチャしたものを皆腹に抱えているんだ」

という言葉。
大人になれば誰でも、いろんな理不尽なことや汚いことに出会い、染められ、綺麗事なんて言ってられなくなるんだ、と。
それに対し天海が、田所は違うと反論しますが、小泉は「あいつは水溜まりを避けているだけ」と一蹴します。

と、ここまでは田所だけは2人とは違い、悩みもなく絵に描いたような人生を送っているような印象で話は進むのですが、当然そんなわけではなく。後半、2件目の若い女性が殺された事件により、田所の真実が明かされることになります。

2件目は宮田恵子という女性が殺された事件。
彼女は下着姿で、ベルトで首を絞められた状態で発見されます。犯人(吹越満)はすぐに捕まるのですが、この犯人の国選弁護人になったのが小泉、そして天海もまたこの事件を担当することになります。
天海は、遺体発見が匿名の通報によるものだったこと、そしてその通報者はおそらく宮田恵子の不倫相手だったと推察されることから、犯人よりもその不倫相手に対し興味を抱き始めます。
というのも、天海もかつて不倫の経験があったからです。

この事件の裁判の裁判長を務めるのが田所になるのですが、2人がこの事件について語るシーンが印象的でした。

宮田恵子が(天海の言うところの)「女のルール」(妻子のある男性と不倫する女性の暗黙のルール。相手の家庭を壊さない等々、いろいろありました)をきちんと守り、相手の男性を守ったのに対し、男性は殺され犯されかけていた彼女の遺体を見ても布団をかけることさえなく、自分の保身の為に逃げた…。

天海は田所に対し、自分の過去を打ち明けつつそのような話をします。
お気付きのように宮田恵子の愛人というのは実は田所なのですが、この時彼は「自分は不倫の経験などない」「(男が逃げたのは)仕方なかったんだ」などと話します。この時の彼には家庭(と自分)を守らなければならないという意思のほうが強く、別れ際天海に対し「一度くらい家庭を持て。法廷とは違うぞ」なんて捨て台詞を吐いたりしています(この台詞に込められた意味がよくわからなかったです。天海は「そう、法廷には温情や同情はあるけど、愛情はない」と心の中で呟いているのですが、それだけの意味ではないような気がしました)。

公判は、犯人が自供していたことからスムーズに進むと思われていました。ところが起訴事実の確認の段階になって、犯人は「自白は強制されたものだ」と起訴事実を否定するのです。
彼は道を歩いている時にたまたま見かけた被害者を犯そうと、彼女の部屋にベランダから忍び入ったと供述していたのですが、そうではなく、「彼女から誘ってきた」「ベルトで彼女の首を絞めたのは彼女がそう要求したからだ」と、彼女を侮辱するような発言をするのです。
これは弁護をしていた小泉にも想定外のことで、公判は思わぬ方向へと進みます。

家族と自身を守るために真実を飲み込んでいた田所も、犯人が刑を軽くするため(これもまた自分を守るためだったりする)に供述を覆し、自分の愛していた女性を侮辱し続けることに耐えきれなくなります。そして彼は真実を述べる決心をします。なんと、その場で法服を脱ぎ、裁判長の席を下り、証言台に立つのです。
証言台に立った彼は真実を述べると宣誓をします。そして、5年間宮田恵子と愛人関係にあった自分が、彼女が犯人の言うような女性ではなかったと証言する、と話し始めるのです。

…大混乱となった法廷も誰もいなくなり静まりかえった頃、そこには天海と小泉の2人が残っていました。
「田所もつまづいたな」と言う小泉に対し、天海は「彼は思い留まったのよ。人として」と答える天海。
その答えを聞いて、「本当にそうなの?」と思う私。
確かに田所は殺された恵子に対して、死んでからではあったものの愛情(というのか誠意というのか)を見せたことになります。しかし同時に彼は、妻と娘を傷付けることになってしまった。
本当にこれで良かったのか、良いと思っていいのか。そう思わずにはいられませんでした。
その後、田所が妻に謝罪をした時に、泣きはらす妻を見た娘が「お母さんをいじめないで、お父さんなんか大嫌い」と叫ぶシーンがあったりして。

しかし、小泉が言った「真実でも嘘でもない」こと、正とも悪とも判断できないことがこれなのか、とも思いました。
不倫に関して天海と田所が語るシーンで、天海は「女は人を愛したら怖いものは何もないけど、男は何を失うかばかり考える」と言うのですが、この時の天海の言い分も「仕方がない」という田所の言い分も、どちらも正しいとは言えないし、悪いとも言えない。また正しいかもしれないし、悪なのかもしれない。

2件目が片付いた後に、1件目の事件で無罪となった藤田が自首をします。結局、嘘を突き通し表向きの平穏を保つより、家族に対し正面から向き合うことを彼女は選んだわけですが、果たしてそれが彼女と彼女の家庭にこの先幸せをもたらすのか、それは誰にもわかりません。もちろん、不孝になると決まったわけでもないですが。

何が良くて何が悪いのか。真実を明かすことはどんな時でも正しいことなのか、正義であり得るのか。そんなことを考えさせられました。
もちろん、そのような状況に自分や他人を巻き込むことをしなければいいだけの話なのですが、誰もがそんな風に上手く生きられるわけではありません。
小泉ではないですが、誰しも後ろめたいものや表に出すことのできない感情や事実なんかを持っていて、その中で葛藤しながら生きている。

このドラマ、最後は、小泉は事務所を辞め独立。判事の職を失った田所も弁護士になり、小泉の事務所で働くことになります。天海は1件目の事件の後辞表を出していたのですが、辞めずに検事として働き続けます。
結局、何があろうがなかろうが、人は前を向いて生きていくしかないのかな、と。その途中で誰かを泣かしたり傷付けたり、いろんな罪(法律上の罪だけでなく)を犯しながら、でもやっぱり前に進むしかなくて。
自分が傷付けてきた誰かのことを思い出しながら、彼らに申し訳なく思いながらも、やっぱり自分の人生を生きていかなければならなくて。

そんなことをあれこれ考えながら、自分のことを省みながら、最後には涙してしまいました。
30代半ばを迎え人生に迷いを覚える彼らの姿に、胸が詰まりました。

“少しホロ苦い中年青春グラフィティ”

年を重ねていくほど、青春は眩しくてしょっぱくなっていくのかな。。

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