日食は、見るものでなく体感するものである

7月22日、日本では46年ぶりの皆既日食が見られる(しかも我が故郷鹿児島で!!)というこの日。福岡でも約9割が月に隠れる部分日食が見られるということで、休んででも見ようと思っていました。
ところがどっこい、有休をもらうことを忘れてさっさと帰宅してしまった昨日。どうしようかと思い悩んだものの、「今日体調悪いんですぅ」なんて図々しく休みの電話を入れるなんてできるはずもなく、起きて早々諦めムードでした。
日食が名残惜しく、朝のワイドショーでの日食中継を見るのに夢中になり、「もうちょっと」を繰り返すうちに家を出るのが遅れる始末。。

「やばい、遅刻だ!」と足早に駅へ。慌てていた為に、家を出た時にはすでに始まっていた日食に気を配る暇もなく(というか日食用グラスを持っているわけではなかったので、見たくても見られない)、ひたすら早足モードでした。
職場の最寄り駅の博多駅・筑紫口では、観光客らしき集団が日食グラスを回しながら日食観賞。その集団を羨ましげに見つめるサラリーマン達に混じって、私も足早に職場へ向かいました。

職場に着いたのは午前10時半前。
部分日食が最大になる時間まで残り20分ほどという時間。最大は見られなくても、「少しでも見られたらいいかな」と(グラスもないのに)お昼休みに見に行こうといつもの仕事にかかりました。
ところが10分程経つと、物好きな部長が部長室から出てこられました。

「もうすぐだよ。下でビデオ撮影している人がいるから、見に行こうよ」

他の職員さん達が仕事に励む中、全く気にせず意気揚々と部屋を出て行く部長。職員さん達は呆れたように知らんぷりしていましたが、このチャンスを逃すわけにはいかないと思った私は「行きます!」と慌てて部長の後について行きました。

「仕事なんかやってらんないぜ。仕事より人生一度の経験のほうが大事じゃ~!!」

と心の中で呟きながら(仕事をサボる図々しさはあった…)。

ビルを出ると、「あそこにビデオ撮影している人がいるから」と言う部長と道路を挟んで向かいにある小さな広場に駆け足。
広場には数十人程が集まっていました。そして日食グラスを片手に空を見上げる人々の中に、日食の様子をビデオ撮影している一人の男性がいたのです。
「ほらほら、見てごらんよ」と男性の真後ろに立つ部長。
覗いていいものかと遠慮がちに男性に近付いた私。
カメラの画面に映る、小さな欠けた太陽に思わず「おお」と声が出ました。

30前後と思われるその男性は、どうやら日食ハンターらしき模様。
遠慮のない部長が「これ借りていい?」と彼の足下にあった日食グラスを勝手に拝借。焦った私でしたが、男性は嫌な顔一つせず貸してくれました。
その日食グラスで見た太陽は、くっきりと三日月の形をしていました。
日頃見ている太陽とは全く違う姿で、「これは本当に太陽なの?」と思ったほど。グラスというフィルターを通して見ている(直接見ていない)こともあって、遠い世界での出来事のようにも感じました。

遠慮のない部長は、近くにいたおばあちゃん2人組や若者達にも

「これで見るといいよ」
「デジカメじゃ撮影は難しいよ。彼のビデオを撮影したら」

と、男性の日食グラスを勝手に周囲の人に貸したり、好き放題やります(グラスが行方不明にならないよう気を配るのが大変だった)。しかし、男性はそれでも嫌な顔を見せずに、日食グラスを貸し、ビデオ映像の撮影も自由にさせていました(私がいた20分の間に5、6人は撮影していました。私も携帯を持って来ていたらと後悔)。
そして、周りにいる人達に日食の話を興奮気味に話してくださいました。

「前にスペインのマドリードに行った時も、みんなこのビデオの映像を撮影していたんですよ」

と笑顔で語る彼は、どこか嬉しそう。3年後には金環日食が見れるという話もしてくれました。
おばあちゃんに「どこから来たの?」と問われると、なんと「名古屋です」という答え。本当は今日は鹿児島に行く予定だったのだとか(鹿児島の最南端から、日食だけでなく月の影にすっぽり隠れる屋久島も撮影したかったらしい)。ところが悪天候という話を聴いて、鹿児島まで行くのは止めたのだとか。
博多駅に着き、どこかに開けた場所はないかと地図を見たら、この広場があったので慌てて来た、というのです。

欠けていく太陽。
薄暗くなっていく空。
風はいつの間にか熱を冷まし、明らかに気温が下がっているのを感じました。
後から気付いたのですが、セミの鳴き声も止んでいたんです。

そんな「世紀の天体ショー」(皆既ではないけど)を目の前に、以前「共有と熱狂」について書きましたが、まさに「今私は“熱狂”を“共有”している」と思ったのでした。
そして、

「私は46年前にも見ているのよ。その頃も生きていたから(笑)」
「私もよ!」

おばあちゃん2人のお話を聞きながら、何より目の前に立つ名古屋から来た男性の背中を見ながら、こうやって名前も知らない人々と出会い、語り、感動を共有することの素晴らしさに、また感動したのでした。

部分日食が最大となった瞬間は、天然クーラーの中にいるような感覚でした。肌寒ささえ感じ、腕をさすりながら、「冷えますね」「気温下がってるね」と部長と話していると、男性が、

「そうなんですよ!日食は見るものでなく、体感するものなんです!」

と、今日一番興奮して話しかけてくれました。
太陽は直接見ることができませんが(でも、ほんの少し見ちゃいました)、光を失った空気が熱を失っていくその経過は肌で直接感じることができたんです。グラス越しの日食以上に、この“体感”に感動している自分がいて、彼の言葉に大きく頷きました。

今回の皆既日食で最も注目されていたのが、鹿児島県トカラ列島の悪石島です。
最も長い時間皆既日食が見られるといわれていた同島は、悪天候のため日食は見られなかったとのことでした。しかしご存じのように、皆既日食の瞬間には島は真っ暗闇に包まれたのです。
日食を見られなかったことに「残念だね」と言う人もいましたが、あの真っ暗闇を体感したことは、それだけで大きな感動となったのではないかと思いました。
日食が見られなかったのはもちろん残念だったろうと思いますが、日食を完全に体感できたというのはとても羨ましく思います。

あの大雨の中、びしょ濡れになりながらの日食。
期待していたものとは違ったけれど、期待が外れたという苦い経験と代わりに得られたものが、特に子供達にとって人生の大きな糧になってほしいと願うばかりです。

悪石島は行ったことないのですが、鹿児島であることは変わりないし、昨年にこの皆既日食が騒がれた頃からずっと気になっていました(島は違えど私は島人の血を引いているし、島に住んでいたこともあるのでなおさら)。
この皆既日食がなければ島を訪れることはなかったであろう人達と、そんな人達に出会った島の人々。準備もこれからの後片付けも大変だろうと思いますが、お疲れさまでしたと言いたいです(もちろん悪石島以外の島々の人達にも)。

そして何より今日は、博多で出会ったあの名古屋の方に、感謝の気持ちでいっぱいです(あと誘ってくれた部長も、笑)。2度目の日食と話していたおばあちゃん達とお話しできたのも良かったです。

次に日本で見られる皆既日食は26年後とのこと。
果たしてその時私は何をしているのでしょうか…。
そうやって26年後に思いを馳せることにも、またロマンを感じます。

4 comments to “日食は、見るものでなく体感するものである”
  1. 秋田は曇天のため見れたのはNHKニュースで流していた硫黄島の中継でした。
    もったいない日に悪天だったもんです。
    ちなみに次は2035年9月2日。
    50歳のバースデーです。

  2. >けいたさん
    秋田も天候が悪かったのですか~。
    福岡も少し曇っていましたが、何とか見ることができました。
    26年後は50歳の誕生日とは!凄いですね。気が早いですが、素敵な誕生日になるといいですね(さすがに早すぎますか、笑)。

  3. 同じく、当日の同時刻は完全に曇っていて、実は太陽の位置さえ判別不能でした(泣
    「体感するものだ」
    は、納得のいく言葉ですね。理屈として理解しているのと、その現象を体感してしまうのとでは、やはり感動が違いそうですもんね。

  4. >メロンぱんちさん
    埼玉も曇りだったんですね(>_<)。 私も実際に体験するまでは「見るもの」だとばかり思っていたのですが、いざグラスを通して見てみると思った程の感動はなくて。むしろ太陽が隠れるにつれ、変わっていく空気や風に感動してしまいました。 これが皆既日食ならば、辺りが暗くなり、(皆既日食時晴れていた硫黄島や奄美大島ではそうだったように)水平線の向こうが夕焼けのように赤く染まるあの風景を目にしたら、それはそれは感動的なんだろうな、と思いました。 太陽の光はやっぱり強くて、9割隠れても思っていたよりずっと明るいんですよね(多少薄暗くなった程度)。もっと暗くなると思っていた私もあれですが(汗)、空に変化がなかったのがちょっと残念でした。だから皆既日食の暗闇はとても羨ましく感じて。 貴重な体験ができて良かったです。

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