「大人かわいい」の違和感

先日、NHKの『クローズアップ現代』で「大人かわいい」の特集をしていました。番組の説明はこちら(NHK公式)
30前後のいわゆるアラサー(私じゃないか!!)やもっと上のアラフォーの女性たちが、10代や20代前半の若い子たちがするファッションをするのが流行っている、という話。
フリルやらショートパンツやら花柄のワンピースやら、10代・20代の子たちと同じファッションをする30代・40代(時には50代)の方たちってよく見かけます。福岡も多いです。
私が学生の頃(2000年~)から若い格好をした女性は見かけていたけど、最近は特にその傾向が強いように感じています。
若者向けファッションのお店に行っても、普通にいますもんね。いろんな年代の方々が。
そのような光景も、今ではもう珍しくありません。

番組は、前半に「大人かわいい」を実践して人気となっている(らしい)吉川ひなのさん(30歳)やブームを仕掛けた風間ゆみえさん(38歳)へのインタビューなどVTRを中心に持ってきて、後半は田中理恵子さん(東京工業大世界文明センターフェロー/社会学)と司会者の国谷さんによる解説でした。
「こりゃ、賛否両論起きそうな特集だ」と思ったので、他の方の感想を見たくてツイッターで実況しながら番組を見ました。案の定、辛口コメントが多かったですが、中にはなるほど!と思うコメントもあって、面白く観賞できました。
コメントをまとめたTogetterがあったので、参考までに。こちら

番組では、吉川ひなのさん曰く「好きなものを好きなように着て何が悪いの!」とか、年齢によって着る服が決まっている風潮を打破するものだ、といった感じで、この「大人かわいい」ブームが語られていたのですが、正直、このブームを肯定的に捉えての構成だったのかは微妙でした。
もっと作りようがあっただろうに、番組が何をしたいのかわからないといった印象。
見ていてつい感情的になってしまうというか、田中さんに言われるまで社会学的論点なんて考えもしなかったです。まあ、私がそれだけの頭ってことなのですが。。
ファッションのことも詳しくわからないので、どの視点からも語る術を持たず、「好ましいか好ましくないか」という主観で感情的な感想を抱くしかなかったです。
「着るものを選ぶことは生き方を選ぶこと」というシャネルの名言を言い放ち、ブームを肯定する田中さんに、ブームに否定的な国谷さんが「ファッションに逃げてるだけじゃないの?」と鋭く突っ込んでいたのが印象的でした。
その辺り、PCの画面のほうに集中していて、何を話されていたのかあまりよく覚えていないけど(汗)。

まあ、そんなこんなで大した感想も言えずに何とも寂しい限りですが、一つだけ言えるとしたら、というか、言われて気付いたのだけど、この「大人かわいい」の一番の違和感って日本語としておかしいことなんですね。
「かわいい大人」ではなく、「大人かわいい」なのね。この不自然な言葉の響きが不快感をもたらす面もあるんじゃないかと思いました。

いわゆる「造語」って、「上手いこと言うな」というものもあるけど、いまいちなもののほうが多い気がします。
「婚活」とか「草食系男子」とか。懐かしいところで「ちょい悪」とかも。ファッション誌が提唱したけれど失敗しちゃった造語、とかね。
ブームを作りたくて(モノを売りたくて)やっているのかもしれないけど、今は他人が提唱する(大袈裟に言えば)生き方に乗っかって生きるような時代ではないんですよね。古いところで言う「結婚して、マイカー買って、マイホーム持って」みたいな。
趣味も生き方も多様化していることは、もう多くの人がわかっていることですし。
なので、40歳の人が20歳の人と同じ格好をするのは全然構わないのですが、それを「ブーム」として取り上げることに、なんというか違和感を覚えてしまうんです。
反感を覚える理由っていうのは、そういうどうしようもない違和感なんだろうな、と思いました。語呂も含めて、受け手に無理矢理押しつけているような窮屈さがあって。

思えば、言葉も供給過多ですよね。次から次へと「これが今のキーワードですよ!」とメディアに取り上げられるけど、なんだかもうお腹一杯で。
本当に重要なキーワードは、キーワードとして認知されていないところにあるんじゃないかと思ったりします。それが何なのかはわからないけど。
「空気」みたいなものだったりするのかな。見えないけど存在するのはわかる、とか、肌で感じる、とか?

ツイッターをやっていて感じたことがあって。これだけいろんな言葉が溢れて、やりとりが交わされていると、言葉にうんざりしてしまうことがあるんです。
この間もちらっと書いたのですが、ツイッターで言葉の羅列を見たあとに、言葉少なめのサイトなどに行くとホッとするんです。
もともと写真とか絵とかデザイン(?)とか、視覚で訴えるもの・表現するものを見るのも好きですが、その理由というのは、それを理解するというか受け取るのに、視覚などの感覚だけに委ねることができるからだと思うんです。簡単に言えば「頭で考えなくていい」と。
言葉でしか読めなくて、言葉でしか理解できないものばかりに触れていると、疲れちゃって。そういう時に写真を見たり、ハッとするようなデザインのサイトを見たりすると、肩の力がスーッと抜けていく。
ネットサーフの面白いところって、中身を読まなくてもデザインだけで楽しめることだったりするんですよね。雑誌とかもありますよね、写真のページだけパラパラめくるとか。
ずばり、「見てるだけ~」(笑)。
ウインドウショッピングという言葉もありますが、「見てるだけ」ではお店の方からすれば何も生み出さない行為かもしれないけど、「見てるだけ」の側からすると重要な行為で、それがストレス発散だったり、癒しみたいなものになるんです。
言葉が売りのブログやツイッターばかり巡っていると、思います。言葉だけでは生きていけないんだなって。

私は文章を書くのが好きで、こうやってダラダラと長々と書いているけど、この「ダラダラ長々」が見る側に立てば苦痛となることは、書いている時にはほんとに気付かないんですよね(苦笑)。
様々な造語を見ていると、本人たちは「やった。うまいこと言った」と思っている(だろう)ものが、端から見れば眉をひそめちゃうってこともあるんだな、と感じます。
そういうわけで、私も気を付けなければなりません。
やはり、私は長く書き過ぎです。もっと言いたいことを短くまとめる練習をしなければ!!

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