福岡散歩~「完全復元伊能図 全国巡回フロア展」(福岡市城南区・中村学園大学)

福岡市城南区にある中村学園大学で8月1日まで開催されていた「伊能忠敬の足跡をたどる 完全復元伊能図 全国巡回フロア展」に行ってきました。
伊能図巡回展のチラシ

昨年の4月、伊能図の原寸大パネルが完成したと言うニュースを見て以来、気になっていた巡回展が福岡にやってきたということで、会場となっている中村学園大学へ行って来ました。
地図が展示されているのは同大学の体育館。クーラーなしの暑い中、受付で頂いたミニうちわ(大学の宣伝うちわ)を片手に、伊能忠敬が作った世界を堪能してきました。

会場入口
入口はこんな感じ。もっと人で溢れているのかと思ったら、そうでもなかったです。
体育館はそんなに大きいというわけでもなく、いたって普通の体育館。

2階から
まずは2階から全体を見てください、という案内があったので、2階へ。
左下が九州で、右上に向かって北のほうへとなっています。
体育館に収まりきらなかったようで、北海道は左奥に、東北の青森など北部はその右隣に分かれて置かれていました。
右下は小さい図の「小図」と写真には入っていませんが、その隣に中サイズの「中図」があります。
下のほうに人が集まっている場所がありますが、そこではビデオが流されていました。

1階に降りると、まず九州(写真で言うと左下)から閲覧するようになっていました。
とにかく大きくて、町を探すのも一苦労。
九州とわかるような写真を、と思ったのですが、大きすぎてうまく撮れませんでした。

九州で最初に登場するのは一番南の鹿児島。鹿児島といえば桜島。
ということで桜島です。
桜島
沿岸には縦書きで町村名が書かれています。漢字も旧字体です(当然ですが)。

こちらは鹿児島市内。
鹿児島市内
左下の青いのは鹿児島市内を流れる甲突川です。
私が住んでいた場所はこの頃まだ名前がなかったのか、ありませんでしたが、馴染み深い名前がたくさんです。

伊能忠敬は離島まで足を運んでいたようです。
こちらは種子島と屋久島。
屋久島種子島
せっかくなので並べられるよう表示サイズを小さくしました。クリックしてね。

続いては福岡。
さすがに福岡や長崎といった場所には人が集まっていました。皆さん、おらが町を探していました。
私も現在住んでいる場所をパシャリ。
福岡市内
福岡もだいぶ知っている名前が増えてきました。
今私が住んでいる地区の名前もあります。どれもこれも江戸時代(それ以上昔)からある名前なんですね~。

次は学生時代に住んでいた大阪です。
大阪城と住吉大社
写真左上(方角では北のほう)に大阪城が見えます。右の方には住吉大社も。
今宮や天王寺といった地名も懐かしいです。。

茨木周辺
学生時代、実際に住んでいた場所です。
通っていた大学がある辺りにも小さな村はあったようです(今は高級住宅地の一角だけど、当時はさすがに小さかっただろうなあ)。馴染みの名前がちらほら。
真ん中辺りを横に走る赤い線は、京都と下関を結ぶ西国街道(山陽道)です。リンク先のWikipediaにも書いてありますが、現在もこの街道に並行するように京都と神戸を結ぶ国道171号線が走っています。

……というウンチクは今調べたのですが(笑)、調べなくても「あれ、これはもしや171?」とわかったのが何だか嬉しいです。
今私たちが歩いているセメントの道も、何もない場所に作られたわけでなく、何百年も昔から人々が歩んできた場所の上にあるんですね。
当たり前のことかもしれないけど、なんだか不思議な感覚。江戸時代の人と同じ道を歩いているなんて。

さてさて、感傷に浸るのはここまでにして、気分で撮った他の都市。

広島
広島です。
九州から沿岸をずっと北上していったら、急に文字が増えたので、どこだろうと見てみたら、広島でした。港町として栄えていたのかなあ、と思わせる姿です。
現在の広島とどれくらい同じかと思って調べてみたら、大体似ているのですが、一つ大きな違いが。

地図の繋ぎ目に「江波(えば)島」という島がありますが、Googleマップで見ても、どこにもないんですよね。そこで調べてみました。
どうやら江波島は、埋め立てによって北の「舟入」という地域と繋がったようです。それも最近ではなく、江戸時代には干拓が進み、明治時代には完全に舟入と陸続きになったんだとか(Wikipedia)。
これは江波が島として存在していた時代の貴重な姿なんですね。

いや~、広島はほぼ縁がない土地ですし、牡蠣と宮島と広島カープくらいしか知りませんけど(笑)、こうして調べてみると、ロマンがあっていいですね。

次は日本一大きい湖。
琵琶湖
なんでこんな変なアングルで撮っちゃったんだろう。。
でも、大きさはわかっていただけるかと思います!(汗)

そうそう、地図の上には靴下を履いて上がることになってます。地図の上を歩くのはもちろん、座ったりすることもでき、「暑さ」さえなければ何時間でも楽しめそうでした。暑くさえなければ。。

日本一高い山。
富士山
富士山の存在感に圧倒されます。

日本で二番目に大きい島(一番目は本州って事で)。
北海道
北海道です。内陸部は地図が描かれてないようで、白いです。

北海道2
当時は蝦夷地と呼ばれていた北海道。アイヌ語はこうやって当時からカタカナで表記されていたんですね。

ちなみに、沖縄や奄美大島の測量はされなかったようです。

……さて、これまでご紹介したのは「大図」という一番大きな地図(縮尺1/36,000[2]、全214枚))です。
「中図(縮尺1/216,000、全8枚)」と「小図(縮尺1/432,000、全3枚)」はこんな感じです。なんとか全体を写すことができました。

九州から見た中図。
九州から見た中図
左上にあるのが小図です。

北海道から見た小図。
北海道から見た小図

ここまで鑑賞したところで、暑さに耐えられず体育館を出ました。
1時間はかからなかったと思いますが、大雑把に見て回るだけでも結構時間がかかりました。

館内の壁沿いには、伊能忠敬がどうやって測量を行っていったのか、その経緯や彼が測量に使用した道具の写真などのパネルが展示されていました(北海道の1枚目の写真に写っています)。
熱心にメモを取られる方もいて(年配の方でしたが)、夏休みの自由研究にもいいかもなあ、なんて思いました。
しかし、家族連れもいましたが、歴史に興味ありそうな年配の方が多い印象を受けました。

たった3日間の展示はちょっと短いかなあ、という気も。
しかし、この後も全国を回るでしょうし、この暑さの中ではスタッフの皆さんも本当に大変だったと思います。地図の展示だけでなく、様々な資料の展示やウォーキングイベントなどもあったようですし(私は地図を観ただけでしたが。今思えば頑張って資料も観てくればよかった……)。
このような機会を与えてくださったことに感謝です。

※番外編

会場となった中村学園大学ですが、体育館前には青空の映える広場がありました。
体育館を出た後、ちょうど影になっていたベンチに座って、しばし休憩(写真をツイッターに送ったり)。

中村学園大学
ベンチから撮った写真です。
左下のほうに写っていますが、このベンチ、肘掛けというかテーブルが付いていて、荷物を置いたり、ちょっとした勉強もできるようになってるんです。
普通にあるものなんでしょうか? うちの大学にはなかったので、「これ、いいなあ」なんて思いながらひと休みしてました(笑)。

少しは雰囲気が伝わったでしょうか。これから観る機会がある方は、ぜひ行かれてみてください!!

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