『海炭市叙景』(映画)

今年最後の鑑賞作品です。

※  ※  ※

今日見てきました。忘れないうちに、勢いで書いてしまいます。
内容は公式サイトより。

その冬、海炭市では、造船所が縮小し、解雇されたふたりの兄妹が、なけなしの小銭を握りしめ、初日の出を見るために山に昇ったのです…。

プラネタリウムで働く男は妻の裏切りに傷つき、燃料店の若社長は苛立ちを抑えきれず、父と折り合いの悪い息子は帰郷しても父と会おうとせず、立退きを迫られた老婆の猫はある日姿を消したのです…。

どれも小さな、そして、どこにでもあるような出来事です。
そんな人々の間を路面電車は走り、その上に雪が降り積もります。

誰もが、失ってしまったものの大きさを感じながら、後悔したり、涙したり、それでも生きていかなければならないのです。

海炭市でおきたその冬の出来事は、わたしたちの物語なのかもしれません。

これ以上の説明は要りません。まさに、わたしたちの物語でした。

函館がモデルとなった海炭(かいたん)市を舞台に、そこで生きる人々の一冬の物語。上記のように、全部で5つの物語があります。
どれも深く、重く、解決の糸口が見えない話です。
私が特に心揺さぶられたのは、「プラネタリウムで働く男」の話でした。
妻とも息子ともまともな会話ができない中年男の寂しい姿に、どうしても、自分の父親を重ねずにはいられなかったのです。ぼろぼろ、ぼろぼろと泣いてしまいました。

壊れゆく家族は一つのテーマでした。
「燃料店の若社長」も「父と折り合いの悪い息子」も、明るい未来がなかなか見えない家族の姿が描かれています。
私はこの手の話はどうしても、どうしても、自分の境遇を思わずにはいられないんです。客観的に見られませんでした。私や私の家族の姿がちらつき、胸が痛く、裂けそうで。泣きました。

そして、その中のどの家庭も、問題の解決が劇中で提示されることはないんです。
こうして静かに荒れた一冬が終わりました、と。
でも映画はそれで終わりでも、彼らの物語は続いていく。私たちの日々が映画館から出たあとも続いていくように。
私の、あるいは誰かの物語が、2時間半という少しの時間、映画になったのでした。

表現については、映像の力、言葉の力を強く感じました。

冗長気味に始まった「解雇されたふたりの兄妹」の物語から始まり、5つの物語が細い糸で繋がっていく様は見事でした。それが最高潮となった終盤の路面電車のシーンは、本当に感動的です。美しいです。みんなしけた顔をしてるのに。
そこから初日の出を向かえるシーンまでの流れがまた良いです。好きなシーンです。

言葉の力というのは、つまり台詞。
たとえば、母が息子に呼びかけるその一言で、家族関係の複雑さがわかるんです。台詞ひとつ、表情ひとつ、人物の見た目ひとつで、家族の背景がわかる。
この、言動一つで「わかる」瞬間。これって大事だと思うんです。これが映画の醍醐味なんじゃないかと。
無駄に多い説明など一切なく、突然スクリーンに現れたふたりの関係性を一瞬にして表す。
見る側としては、そういう「わかる」瞬間というのは快感でもあるんです。「ああ」と。
「ああ」でわかったことは、すんなり頭に入って設定を理解しやすくなるんです。言葉で「あの人があーでこーで誰それと…」なんて説明されるよりも。

思えば、日々の生活でだって、説明なく物事を理解する場面というのは多いんですよね。
映画では「無駄のない、抑制された表現」となるのですが、実生活ではありふれたことなんだなあ、とハッと気付かされました。
なんだか新鮮に感じました、自分の生活が。

内容は暗いし、傷を引っ掻かれたように泣いてしまいましたが、不思議ですね。映画館を出た後は、なぜかシャンと背筋を伸ばして歩いていました。
ハッピーエンドでもなんでもないのに、「がんばらなきゃ」と自然と思えたというか。
いい映画というのは、こういうものなのかも。内容に関わらず、見た者の心を救ってくれるのかもしれません。

『海炭市叙景』
今年最後の映画でした。一年を締めくくるのに相応しい作品だったように思います。自分自身を見つめ直す、という意味でも。

感動を忘れないために勢いそのままに書きました。乱文ですみません。

『海炭市叙景』
2010年/日本/2時間32分
監督:熊切和嘉
原作:佐藤泰志
キャスト:加瀬亮、小林薫、南果歩、谷村美月、大森立嗣、あがた森魚、伊藤裕子、村上淳 他

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