もう使えないけれど、捨てられない、大切なものがあります。
※ ※ ※
図書カード。
子供の頃にもらう機会が多いのではないでしょうか。私の場合は、町内会のちょっとしたご褒美だったり、入学や卒業祝いにいただいていた記憶があります。
大人になってから、というのはあまりないと思います。
先日、大の読書好きな友人が転勤するので、その餞別にと図書カードを贈ったのですが、おそらく「本が好き」そんな理由などがなければ、なかなか図書カードを贈ることも、贈られることもないのではないでしょうか。
私には、どうしても捨てることのできない、使い切った図書カードがあります。
もう何年も前、同僚の方からいただいた図書カードです。
当時私は、とある教育機関で、教師の方々と一緒に働いていました。今と変わらずアルバイトという立場でしたが、「どんな立場でも職場でも一生懸命がモットー」の私のがんばりを、一緒に働く方たちは認めてくださっていました(それがとても嬉しかった)。中でも席が隣だった先生(国語担当)は、教育に関する話題を熱く語るなど、よく声をかけてくださいました。
わけあって私が職場を離れることになった時に、その先生がくださったのが、図書カードでした。
「本をたくさん読んでね」
個人的に何かをいただけるとは思っていなかったので、涙が出るほどうれしかったのを覚えています。そして、その時、この図書カードで最初に買う本はこれだ、と決めた本があります。
荒井良二さんの『たいようオルガン』です。
購入した時のことは、記事にも書いています。
日付を見て自分でも驚きましたが、もう5年も前になるんですね。。
記事にも書いてある通り、荒井良二さんのことはNHKの番組で知ったのですが、その番組を見てからしばらくして、図書カードをくださった先生の机にこの本が置かれているのを見つけたんです。
「この人の特集番組、この前見ました」と話しかけると、先生も見たとの返事。そして、『たいようオルガン』を手に取り、
「読んでみる?」
「はい!」
私と『たいようオルガン』を繋いでくれたのは、その先生だったんです。
5年前の記事には、『たいようオルガン』が本屋になかなかなくて見つけるのに苦労したと書いてあります。この絵本を知ってから購入するまでに約1年かかったと。
もっと簡単に手に入れる方法はおそらくあったと思います。でも私は、自分の足で本屋を巡り、探し、先生からもらった図書カードで買いたかった。
絵本が見つかるまで、私はその図書カードを使うことはありませんでした。最初に買うのはこの絵本。どうしても、
「先生との思い出の絵本を、先生からもらった図書カードで」
そんな思いがありました。
それは私だけの、誰も知らない私だけの決意でしたけど、決して譲ることのできないものでした。
それから私は荒井良二さんの他の絵本も少しずつ集めるようになりました。
読書は子供のころから好きでしたが、大人になって絵本を集めることになろうとは思ってもいませんでした。当時働いていた職場とも関係がありますが、先生とのこうした思い出によって、新しい世界がひとつ、開けたのだと思っています。
あの時先生に図書カードをもらわなければ、『たいようオルガン』は買ってなかったかもしれないし、今のように荒井さんの作品を集めることもなかったかもしれません。
あの時の図書カードは、私にとって、一生忘れられない贈り物です。
あれから何に使ったかはよく覚えていません。すでに金額分使い切っていますが、もちろん処分するなどできるはずもなく、今はなくさないようにと財布に入れています。
ちょっと疲れた時に取り出して、元気をもらっています。
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私は小・中・高と良い先生方に恵まれ、基本的に「先生」という立場の方には特別な思いがあるというか、特別な存在に感じています。
「先生」と「生徒」ではなく、同じ職場で働く「同僚」として、教師という職業の方たちと働くのはその時が初めてでした。正直自分の中の「先生」のイメージと違う一面を見た時には戸惑ったりもしたのですが、やはり尊敬できる面も多く、短い間でしたが一緒に働くことができてとても良かったと思っています。
今、どうしているのかな。
ネットで検索すれば、ある程度はわかるかもしれないんですが、なぜだか怖くてできません。思い出が壊れるのが、怖いのかな。
今どのような立場で、どのような仕事をされているのかわかりませんが、きっと活躍されていることと思います。
私が辞める時、別の先生には手紙をいただきました。短く、謝意と励ましの言葉が書かれていたのですが、その手紙も図書カードと一緒に財布に入れ、時折読んでいます。
とてもきれいな字を書かれる方でした。その字を見ると、優しい笑顔と人柄も思い出され、彼女のような素敵な女性になれたらなあ、とぼんやり、叶わぬ夢を見たりもします。。
出会ったら必ず別れるような、そんな人付き合いしかできなくて。
過去を振り返ると、多くの人々に励まされ、支えられてきたことに気付かされます。
再び会うことは限りなくゼロに近いから、せめて思い出だけは大切にしたいと、そんな風に思います。