『チョコレートドーナツ』

1970年代のアメリカを舞台に、育児放棄された障碍者の男児を育てようと決意するゲイカップルの苦難を描く話題作。


※  ※  ※

評判が良かったので見に行ったのですが…惜しい作品でした。
狙いすぎていい作品になり損ねたといった感じ。興味深い題材なだけにもったいなかったですね。

以下、ネタバレあり。

ストーリーはシネマトゥデイさんより

1979年カリフォルニア、歌手を目指しているショーダンサーのルディ(アラン・カミング)と弁護士のポール(ギャレット・ディラハント)はゲイカップル。 母親に見捨てられたダウン症の少年マルコ(アイザック・レイヴァ)と出会った二人は彼を保護し、一緒に暮らすうちに家族のような愛情が芽生えていく。 しかし、ルディとポールがゲイカップルだということで法律と世間の偏見に阻まれ、マルコと引き離されてしまう。

主人公のルディが良くも悪くも目立ち過ぎました。ツイッターでいろいろ感想を見ていたら「ルディの独り相撲についていけなかった」というコメントを見かけたのですが、まさにそれ。
ルディの人生を描くならそこに焦点を絞ればよかったのに、ゲイの差別問題だけでなく、育児や家族愛など描きたいことをすべて詰め込んじゃって、かえって中途半端になってしまった印象を受けました。

原題は『Any Day Now』。
ルディがラストに魂を込めて歌い上げた曲の1フレーズです。曲はボブ・ディランの『I Shall Be Released』という曲で、人生には多くの苦難があるけれど、いつか(今すぐにでも?)(Any Day Now)、自由になれる(I Shall Be Released)と信じて生きていく、とかいう歌らしいんですが(適当ですみません)。
歌もルディのパフォーマンスもとても素晴らしかったのですが、聴きながら、結局マルコもポールもルディの引き立て役でしかなかったんだなあと感じました。この映画はルディという1人の人間の魂が救われるまでを描いた作品だったんだと。
そう思うと、マルコとの生活や彼を取り戻すための裁判も茶番に見えてくるわけで(「茶番」は言い過ぎかな)。
裁判で敵側の検事が「愛が欲しかったのは少年(マルコ)ではなく、大人(ルディたち)の方だった」と皮肉を言うのですが、この映画の問題点がこの一言に集約されているように感じました。あくまでもルディ目線でしかないんですね、愛も幸せも。

邦題の『チョコレートドーナツ』も、話題集めにはいいタイトルだと思うんですけど、ルディの熱唱が持つ意味が半減してしまうし、どうなんでしょうか。(確かに原題を日本語で言い換えるのは難しいですけど、そこを何とかするのがプロの仕事なわけで)
チョコレートドーナツはマルコの大好物というだけで、そのエピソードは劇中で特に大きな意味はないですからね。
まあ、興行的に成功したのなら、やっぱりそれが正しい、ということになっちゃうんですかね。
うーん…。


『チョコレートドーナツ』(原題:Any Day Now)
2012年/アメリカ/97分
監督:トラビス・ファイン
キャスト:アラン・カミング、ギャレット・ディラハント、アイザック・レイバ 他
※5月29日、KBCシネマにて鑑賞。

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