「NO MUSIC, NO LIFE.」から遠ざかって

「NO MUSIC, NO LIFE.」という言葉を信じていた時期が私にもあったけれど、年々「音楽」について思考を巡らす時間が減っている。

「ああ、音楽がなくても生きていけるんだ」

そう思えるようになった。

街を歩けばどこもかしこも音楽で溢れているし(たとえば行きつけのカフェ)、「音楽(と呼ばれるもの)を全く耳にしない日」は私にはない。ただ、自らの意思で音楽を聴く、というのはしばらくしていなかった。

先日、何か月かぶりに、自分の意志で音楽を聴いた。

聴く曲は大体いつも同じ。
プレイリストの中身が変わるのは年に一度くらい。数曲増えて、数曲減る。
その繰り返し。定番はもう何年も変わらない。

いつものメロディ。
いつもの声。
いつもの歌詞。

それらを聴いて、「元気が出る」わけではない。
疲れをただ受け止めてくれるソファのようなものだ。
気付いたら眠りに落ちている。「おやすみなさい」の言葉もなく、部屋の明かりはつけっぱなし。ひどいときには、睫毛にマスカラをのっけたまま――
そんなときの、ソファ。

反発力を失ったソファに身と心を沈める。
それは「癒し」などではない。
では、何だろう。
私は何のために、この曲たちを聴いているのだろう。口ずさんでいるのだろう。
くたびれたソファに私が求めているものは、一体何?

わからないまま、再生ボタンを押す夜。

「NO MUSIC, NO LIFE.」はタワーレコードの「コーポレート・ボイス」だそう。
そして、この企画は1996年からスタートしていたようだ。

– NO MUSIC NO LIFE. – TOWER RECORDS ONLINE

ああ、そうだったのか。
私にとってこのコピーは、「青春」とともにあったということに、今頃気付く。

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