書くことが好きなのに書くことがない話


「(文章を)書くこと」は手段なのに、それに気づくのに随分と時間がかかってしまった。

子どもの頃から「書くこと」が好きだった。小説を書いて友だちに読んでもらったり、コンテストに応募したこともあった。新聞社の入社試験を受けたこともあった。
「好きなことを仕事にしたい」は、私にとって「書くことを仕事にしたい」だった。何を書くかは私にとって重要ではなかった。馬鹿だった。

手段が目的になっていたので、私の「目的」の場所には空虚な妄想しかなかった。
当然ながらそれは見透かされていて、新聞社の面接を受けたときに面接官から言われた言葉は、二十年近く経ったいまでも思い出す。でも当時は、その言葉が意味するものをわかっていなかった。

「書く」ことはコミュニケーションの一つでもある。自分以外の他者に何かを伝えるために行う行為だ。
そうした真っ当な、目的を持って書かれた文章に日々触れていると、自分のこと以外は何も書けない自分がなんとも情けなくなってくる。別に私はそれを職業になどしていないし、自分の話ばかり書くこと自体は恥じるものではないのだけれど、その向こうに「自分のこと以外に書くことがない」という自分自身の貧相な人生が横たわっていて、現実を突きつけられるからだ。

……書いてて虚しくなってきたのでこの辺で。

今週はひどく疲れた一週間だった。仕事は一日少なかったのに。
来週で9月も終わる。

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