堺雅人主演『ゴールデンスランバー』を見に行ってきました(公式サイト)。
原作は伊坂幸太郎。彼の作品は読んだことないのですが、今とても人気のある作家さんのようです。
CMは「何故か首相暗殺犯にされてしまった一人の男の逃亡劇」と、サスペンス要素を全面に押し出したもので、(私が抱く)堺さんのイメージとは何となく合わないなあと思っていました。情報はそれしか知らなかったので、半信半疑なまま映画館へ。
しかし私のイメージは合っていたというか、実際は主人公である青柳(堺雅人)の逃亡劇を軸とした、青春ムービーでした。
タイトルの『ゴールデンスランバー』はビートルズの曲。「黄金のまどろみ(眠り)」というその名が表すように、逃亡する中で学生時代の旧友たちと再会し、彼らとの思い出と現実との間を彷徨う主人公の、夢物語のような、そんな映画でした。
緊迫感といったものより、淡い思い出として描かれる戻れない青春時代が胸に染み入って切なさを覚えます。
舞台は仙台。道路ばかりが広く人気のない、そして味気なさを感じさせる地方の街並みがまた何とも言えなかったです。
以下、いつものようにネタバレ。
主人公・青柳(堺雅人)の旧友たちというのが、森田(吉岡秀隆)、カズ(劇団ひとり)、樋口(竹内結子)です。カズは後輩で、樋口は青柳の元彼女でもあります。
ファーストフード店を巡り、店の評価をするというサークル「青少年食文化研究会(ファーストフード友の会)」の仲間であった四人。時は経ち、上京したり家庭を持ったりとそれぞれが大人として生きる中、青柳と森田の再会から物語は始まります。
ちょうどその日、仙台の街は首相の凱旋パレードで盛り上がっていました。そのパレードの最中、首相が爆発にあい死亡するんです。
森田に釣りに行こうと誘われて現場近くに来た青柳ですが、実は森田は釣りなどに行くつもりはなく、ある人に頼まれて青柳をこの場所へ連れてきたと告白します。
森田は青柳が首相暗殺犯にされることをわかっており、そのことを説明しますが、当然ながら青柳には何を言っているのかさっぱりわかりません。
しかし、爆発で騒然となる中、何故か二人の乗る車に警察官が寄ってきます。
とにかく逃げろ、という森田。青柳はわけもわからず車を出ます。
警察が追いかけてくるので逃げる青柳。その直後、森田の乗った車が爆発。
何かが起きている。
こうして青柳の逃亡劇が始まります(ここらへんは見ている側にとっても唐突で、青柳と同じで何が何やらです)。
二年前に「人気アイドルを強盗から救った勇気ある宅配ドライバー」として有名になった青柳は、格好の標的として犯人に仕立て上げられていきます。
警察から発表される数々の証拠は犯人が青柳であることを示し、マスコミも彼を犯人と断定した放送をし、実家にまで押しかける始末。
しかし人の良い青柳に、旧友や同僚、彼らの周りにいる人々、逃亡中に偶然出会った(暗殺事件が起きるまで世間を賑わせていた)通り魔“キルオ”と思われる男までもが、助けの手を差し伸べるのです。
「人間の最大の武器は、習慣と信頼だ」
森田のその言葉を胸に、「自分に残されたのは信頼することだけだ」と初めて出会う人々も信頼し、助けを得、逃げる青柳。
「今」の出会いと信頼と、過去の青春時代とが交錯しながら、物語は進んでいきます。
青柳を陥れたのは誰なのか、彼は逃げ切ることができるのか。
はっきり言うと、青柳は逃げ切れますが、真犯人はわからないまま終わります。
他にも多くが不明瞭なまま終わったのにも関わらず、不満を感じることはありませんでした。むしろ清々しささえ覚えたのは、青春時代にかなりの時間を割いていたことが関係しているかな、と思います。
見ている途中から気付いたのですが、この作品は若者向けでもなく、高齢者向けでもなく、三十代から四十代向けっぽいんです。作者や監督、主要キャスト(竹内さんはまだ二十代ですが)、音楽を担当した斉藤和義さんもその年代ですし、九十年代に青春を送っていた人々の心をくすぐるような作りなんですね。
公式サイトを見てみたら、青柳の年齢設定は三十歳ということになっているんですけど、どう若く見ても三十は過ぎているようにしか見えませんし、三十歳と言われてもピンときません。
私は二十七歳なので三十歳なら近いんですね。でもこの作品の雰囲気は、私にはなんとなくわかるようで、でもちょっと遠い、そんな気がしたんです。
彼らの青春時代のアイテムの一つにドリームキャストの『シーマン』が出てきます。これは2000年前後に発売されている作品で、ご存じの方も多いと思いますが、青柳と樋口が付き合っている時の回想シーンでこのゲームが出てきます。
それでシーマンが呟いた「小さくまとまんなよ」と言う言葉を聞いて、樋口が青柳に別れ話を切り出すんです。
小学校の教師がよく書く、赤の花マル(「大変よくできました」)と二重マル(「よくできました」)の話を持ち出して、樋口は言います。
このままだと二人ともただの『よくできました』で終わってしまう
と。
たぶん、その頃の二人は二十代半ば(~三十前後?)だと思うんですが、その辺りの年齢で感じる気怠さと焦燥感みたいなものが痛いほどに伝わってきました。
「ああ」って、「そうだ」って。
こういう演出を何というのかわからないのですが、回想シーンは淡いオレンジ色のフィルタがかかっているような映像で(この演出がタイトルをさらに際立たせている)、それがあの時代、あの年代の雰囲気を醸し出していて、余計に身に染みて。
あの別れは心地良い眠りから覚める瞬間だったんですね。
その眠りというのは本当に気持ちよくて、しかも輝いていた。街を染める黄金の夕陽と同じで、温かくて綺麗で。でも、必ず落ちていく。
見た目はともかく、学生時代のシーンは四人とも学生のノリをよく表現していて、青柳(堺)・カズ(ひとり)・樋口(竹内)の三人は学生時代のノリのまま大人になったような雰囲気さえ漂わせています。
その中で、一人上京し、パチンコ依存症の女性とできちゃった結婚してしまった森田(吉岡)だけが、やさぐれたというか人生に疲れたオジサンになっています。
冒頭すぐに退場しますが、その印象は強烈で、最後の最後まで彼の姿は頭の片隅にこびりついて離れません。演じている吉岡さんのオーラも凄かったです。
俳優さんは脇役の方も、皆さん良い味を出していました。
青柳の父親役の伊東四朗さんや、青柳の同僚を演じた渋川清彦さん(初めて知りました)、めちゃくちゃ怖い刑事役の香川照之さんや永島敏行さん、そしてアイドルには見えないアイドル役の貫地谷しほりさん(この配役が一番絶妙!)など。
特に目を引いたのは、通り魔“キルオ”の濱田岳くんです。
「通り魔」と聞いて、何をイメージするでしょうか。
根暗で友達がいなくて、社会に不満を抱いた異分子、といったイメージを思い浮かべませんか?
作中でも通り魔に気を付けるよう注意を促す警察のポスターで、キルオはそのように描かれているのですが、本当のキルオは逆で、明るくて人なつっこい男の子なんです。
キルオの描き方もそうですが、背景が明かされないまま終わる作中のすべての出来事(真犯人、芸能人やわけありの人物を客とする名うての整形外科医、裏社会で生きると自称するオジサン等々)は、実は私たちの社会を表しているのかなと思いました。
恐ろしい殺人鬼とされる人物の本当の姿も、世の中に存在すると言われている「裏社会」も芸能人の整形も、私たちは実際のところ何も知らなくて、多くの人はそういった事実なのかウソなのかわからない曖昧な社会で、それらを信じたり疑ったりしながら生きているんですね。
ある日突然“何者か”によって犯人とされた一人の男の逃亡劇は、私たちの身の回りで起きている出来事かもしれないし、もしかしたら私たちが明日“彼”になるかもしれない。
実はありふれた日常を描いているのではないか、そんな風に思いました。
今年最初の劇場観賞でしたが、十分楽しめる良い作品でした。幸先良いです。
それにしても、堺雅人さんはあれですね、なんかオタクっぽい(笑)。
冒頭のシーンで、青柳が釣り道具を持って街中を歩いていて、すれ違う女の子たちが彼を指さして笑うんですね。それを見て私は、彼の格好がおかしくて笑ってるのかと思ってしまいました(本当は有名人だから注目を浴びていたわけですが)。さらに横断歩道の向こうにいる森田はスーツ姿で、手を振る青柳を指さして笑って、逃げるように背を向けるんですもん。
堺さんって顔は笑っていても目は笑っていないというか、いい人そうだけど何を考えているかわからない。かっこいいのかダサいのかわからない。
そんな印象を持っています。そういう点では「アイドルを助けた正義感強き宅配ドライバー=首相暗殺犯(容疑者)」という役に合っているかな、なんて思いました。
あ、決して堺さんを貶しているわけではないですよ!
私も『篤姫』以来、堺さんは注目している俳優さんですし、出演している『アフタースクール』と『クライマーズ・ハイ』は見ましたが、とても良かったです。
この方、宮崎出身なんですよね。九州っぽさがまったくないです。ちょっと羨ましい。。
不思議な魅力を持った俳優さんです。なで肩がちょっと気になりますけど(笑)。