九州交響楽団 第342回定期演奏会

音楽で、平和を考える。

※  ※  ※

7月6日に行われた九州交響楽団の定期演奏会に行ってきました。
今回のテーマは「平和への祈り」。
メインは原爆をテーマとした旧ソ連の作曲家シュニトケの『オラトリオ「長崎」』ですが、戦争をテーマにした曲を書き続けた日本の作曲家・三善晃の2曲も演奏されました。
いずれも初めて聴く曲でしたが、描かれる世界と九響の大熱演は実にショッキングで深い感動に満ちていて、素晴らしい音楽体験となりました。

曲目は下記の通り。

三善晃/夏の散乱
三善晃/焉歌・波摘み
J・S・バッハ/おお人よ、汝の大いなる罪を嘆け BWV622(レーガー編)
(休憩)
シュニトケ/オラトリオ「長崎」

私が九響の演奏会に出かけるのは、まだまだ知らないことばかりのクラシックに少しでも近づきたい、純粋に音楽を楽しみたい、というのが主な理由です。
ですが、今回は、九響が決意を持って選んだ(商業的にはリスクのある)プログラムに、私もその思いを少しでも受け止められたらと思い、これまでとは違う思いで演奏会に足を運びました。

恥ずかしながら、30年生きてきて、戦争や原爆と言うものにまともに向き合ったことはありませんでした。今回の演奏会を聴くにあたって、さすがにこれじゃまずいぞと、いま、身近なところから戦争と原爆の悲劇に向き合い始めているところです(私にとって敷居の低い、文学から…)。
演奏会の前に、今回演奏されたシュニトケの楽曲に使用された島崎藤村や米田栄作の詩を読んでみました。今は、別の作家の小説を読んでいるところ。継続していきたいです。

余談はここまで。

演奏会はまず、三善晃の『夏の散乱』から始まりました。
自身も空襲にあい、目の前で友人を亡くした経験を持つという三善晃の作品は、タイトルそのままの楽曲でした。
そこに耳に心地よい美しいメロディはなく、各楽器が鳴き散らす音は音楽というよりは、焦土と化した大地の上に響く悲痛の叫び、でした。
ただ、バラバラに鳴く音は決して不協和音にはならず、その叫びは一つの方向へと向かっているんですね。。
曲自体の持つ凄みと、演奏の凄みとに、ホール全体が感動と言うよりは困惑気味に、1曲目は終わりました。

『夏の散乱』のショックと困惑を引きずったまま、2曲目の『焉歌・波摘み』へ。
この曲は、1944年の夏に起きた、沖縄の疎開児童を乗せた対馬丸が遭難した事件をモチーフに書かれた曲です。
海に沈んでいった児童たちの声を少しでも「摘みたい」という思いから作られた曲は、終始、子どもたちを飲み込んでいった暗い海をイメージさせる重たい調子が続きます。
光の見えない、暗い、底のない海に、聴いている私ものまれてしまうような。終始、その重みと緊張で心臓はバクバクしていて。曲が終わるころにはぐったりでした。

そんな三善晃の2曲が終わって、一呼吸置いて流れたのがバッハ『おお人よ、汝の大いなる罪を嘆け』でした。
美しい旋律が流れだすと、それまでの苦しみと緊張がすーっと溶けていくようで、言葉にならない感動に包まれました。

この、バッハのタイミングですよね。
ここでバッハが流れることで、それまで緊張を強いられてきた聴衆は少しの安らぎと安堵を覚えるわけです。でも、ただ癒すためだけの曲ではなく、今回の演奏会のテーマに沿った楽曲を選んでいるんですね。いやあ、参りました。
すでに書いたように、これまでは「音楽が楽しめればそれでいいや」というレベルで演奏会に通っていたので、プログラムの意味や流れなど深く考えたことはなかったのですが、今回は、このバッハが流れてきた瞬間に、プログラミングの重要性を強く感じたのでした。
パンフレットには、バッハの前に「休憩」の文字があり、開演前に「休憩はバッハの後です」という訂正の館内放送があったのですが、そうですよね、このバッハは休憩の前でなければ、三善晃の直後でなければ、意味がないんですよね。

そんなわけで、前半は三善晃のショックとバッハの感動で終わりました。
休憩時間にはいつもホットコーヒーをいただくのですが、昨夜の演奏会は前半終わった時点で心身ともに疲れがきていたので、冷たいもので喉を潤したく、オレンジジュースをいただきました。一気に飲んでしまいましたね^^;

後半は、旧ソ連の作曲家シュニトケの『オラトリオ「長崎」』。
この曲はシュニトケが学生の頃、卒業作品として手掛けた楽曲。私はシュニトケのことは全く知らないのですが、どうやら彼は難解な作風で有名なようで(?)、この若かりし頃の作品は対照的な一曲だそうです。
前半の三善晃が悲劇の当事者として、その苦しみを内から絞り出したとするならば、このシュニトケの楽曲はいかにも外部の人間が描く悲劇「的」で、少し仰々しささえ感じる曲でした。(なんだか舞台か映画を見ているような気分でした)
彼がどのような思いでこの曲を書いたのかはわかりません。ただ、最初に基にしたロシア詩人の詩が気に入らず(確かにこの詩が素材となった部分の歌詞は平凡だった)、島崎藤村と米田栄作という日本人の詩を入れたところに、彼のこだわりを感じる、ような。。
そんなちょっとした違和感を感じながら聴いていたのですが、九響と合唱団の演奏はすごいものがあって、途中からは、楽曲よりも演奏に引き込まれていたような気がします。本当に圧巻の演奏でした。

・・・批判的に書いてしまったのですが、シュニトケのオラトリオが良くないというわけではもちろんありません。むしろ、わかりやすさがあって、普段クラシックを聴かない人向けかもしれないとさえ思いました。隣席のお兄ちゃんは体を揺らしながら聴いていたぐらい、ノリやすい曲でもありましたし。。

内と外。
日本人・三善晃と、ヨーロッパから悲劇を見つめたシュニトケ。
対照的な両者を並べることで、さらに互いの楽曲の特徴が際立つ、そんなプログラムだったように思います。

いつものように、拙い感想となってしまいましたが…。
今回は、どうなろうが、感じたことをきちんと書きとめておかないと、と思い、演奏会で感じたことをほぼ書きました。

「平和への祈り」
言うのは簡単だけど、難しい。
平和とは何だろう、祈るとはどういうことだろう。
自分は何ができるのだろう。

いつもは楽しい時間を過ごして終わり、となる演奏会。ですが、今回の定期演奏会は私にとって「出発点」となりそう。
自分の中に生まれた疑問を問い続けていきたいと思います。

※  ※  ※

九州交響楽団 第342回定期演奏会
2015年7月6日(月)/アクロス福岡シンフォニーホール
指揮:下野竜也
アルト:池田香織
合唱:九響合唱団
コンサートマスター:扇谷泰朋

2 Comments
  1. 音楽を楽しみ、かつ考えさせられる、素晴らしい経験になりましたね。それと生の音の力はすごいという点も・・・

    こういう経験はそう多くないからますますいい経験となったと思います。

    • >Masahikoさん
      生の音の力、本当にそうですね!
      後半は、演奏が曲を超えたのではないかと思いました。
      その場にいなければ味わえない…本当にいい経験となりました。

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