空は深く、遠く

先月、奄美大島に行ってきました。
子どもの頃、3年間だけ住んでいた場所。
たった3年間。それでも私は、この3年間が人生で一番幸せなときだったと思って(思い込んで)います。
島を離れて以来、遠いということもあってなかなか行く機会がなく、もう思い出の中だけの場所になるかもしれないと思っていたのですが、死を強く意識するようになってからは「死ぬまでにもう一度行きたい」と思うようになりました。
そして今年、やっとその願いが叶いました。母と2人、これが最後の奄美だね、と。

かつて住んでいた町を、母と歩きました。
奄美を離れてから30年近く経ち、町は大きく姿を変えていたけれど、変わらない場所もあって。必死に過去を探しながら、深呼吸をしてきました。

通っていた学校も、住んでいた建物も町も、あの頃はあんなに大きく、広く感じていたのに、こんなに小さかったなんて。
子どもの頃に見ていた世界を、今の私の目線で上書きするのは寂しさもありました。

住んでいた住宅から10分もかからない場所に白い砂浜があるのに、子どもの頃そこに通った記憶はなく。
「今の私なら、毎日散歩して海を見に来るのに」なんて思いながら、あの頃は海や空のことなんて考えもしなかったよね、と母と話しました。それらはあまりにも当たり前の存在で。
空を見上げることも、水平線の先を見つめることも、今と違って特別な行為でもなんでもなかったのです。

奄美の空は、いま住んでいる福岡の空より広かったです。
ただ、広さ以上に、「深く、遠い」と感じました。

福岡の空は私にとって身近な存在で、いつもそばにいてくれる、そんな親しみを持って見上げることが多いのですが、奄美の空は遠かった。
そして、深かった。
暗闇に吸い込まれてしまいそうな畏れが、真昼の空にさえありました。

ほんとうに福岡の空より深くて遠いのか、私の気持ちの問題なのかわからないけれど、見つめれば見つめるほど遠のいていくような気がして、それがとても怖かった。
本当に遠のいていくのは何なのか。

※  ※  ※

この数十年ぶりの奄美への旅行が一番大きな出来事ではありましたが、今年はいろんな形で自分の人生を振り返る機会の多い一年となりました。
あまりにも時が経ちすぎてしまって、脳裏を過る忌まわしい記憶も本当にあった出来事なのだろうか、私の記憶違いではないのか、記憶違いであってほしい、などと思いながら。

顔を上げた次の瞬間には、爪先を見つめている。
この一年、ずっとそんな感じでした。
来年はもう少し、顔を上げる時間を長くできたらいいな。

奄美で撮った写真はまだ現像もしていないので、年が明けてからぼちぼちやって、ここにも載せられたらと思います。

本記事が今年最後の記事です。2022年も当ブログを訪れてくださり、ありがとうございました。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA