ネット検索ができない人

つい先日のこと。仕事帰り、無香料・無香性タイプのヘアオイルを買いたくて、ドラッグストアのヘアケアコーナーで一人悩んでいた。
ヘアオイルに限らないが、どんな商品も香りがあるものが多く、香りのない商品を探すのが大変だ。
「なんで香り付きばかりなの」
少々イライラしながら、気になる商品を手に取っては香りの有無を確認して陳列棚に戻す、を繰り返し、やっと見つけた「無香料」の商品を購入した。
店に入ってから何分経っていただろうか。店を出て、思わず溜息が漏れた。

帰宅し、パッケージから商品を取り出し、洗面台に置いて気付く。
「あれ? ググればよかったんじゃないの?」
そう、事前にネットで調べていれば、ドラッグストアで時間をつぶす必要などなかったのだ。(ちなみに帰宅してからネットで「ヘアオイル 無香料」のワードで調べたところ、私が購入した商品はすぐにヒットした)
自分の希望を満たす商品をあらかじめネットで調べ、店舗へ行く前に購入する商品は決めておく。
以前は当たり前のようにやっていたことが、できなくなっているのに気付いた。

私は、母から何かしらの質問をされると、「ネットで調べればすぐわかるよ」と答えてしまうことがある(特に自分がイライラしている時)。
他人に対しては「ググればいいじゃん」と言いながら(思いながら)、自分はそこに辿り着けていない。そのことに(大袈裟な表現だが)愕然としてしまった。

1995年、メディアが「Windows95」で騒いでいた頃、実際にはまだインターネットはそれほど広く普及していなかった頃から、私は運よくインターネットに触れることができていた。当時から個人サイトを作ったりもしていて、もう30年近くインターネットが身近にある生活を続けている(さらにいえば、私はいわゆる「IT企業」と呼ばれる会社に勤めて10年以上になる)。それなのに、年を重ねるごとに、生活の中でインターネットを「活用」できなくなっている。
一日の半分近くパソコンを触っているし、プライベートでもこうして、ネットを介してブログを書いたりしているのに、最先端のネット事情にはもう何年も前からついていけておらず、ネットを使って「より快適に、効率的に」できたであろうことにも気付けないまま、無駄な時間を費やしている。

私にとって「インターネット」とは何だったのだろうと、思うことがある。
何だったのか――
あえて過去形を使っている。過去形で語りたくなってしまう。
これだけネットのある生活にどっぷり浸かっていながら、頼りきっていながら、それがどこか遠い存在になりつつあるように感じるのである。

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