ほぼ絶縁状態にある父から、年に一度だけメッセージが届く。
誕生日おめでとう
元気してる?
お母さんは元気?
寒いから体に気をつけてね
毎年変わらない内容のメッセージに、私も変わらない返事を返す。
ありがとう。なんとか元気でやってます――
このやりとりは私にとって憂鬱なものでしかなかったのだが、昨年の誕生日、私はそのときを待ち侘びていた。父に言いたいことがあったからだ。
でも結局、言いたかったことは何も言えずに終わってしまった。
あれから半年が経つ。
もうすぐ父の日だ。この日が私にとって意味のない日となってから、何年経つだろう。
※
いつかの、父の愛人の子どもは、いま元気にしているのだろうかと考えるようになった。当時は相手の子どものことなんて何も思わなかったのに。
一度も会ったことはないし、顔も名前も性別も知らないけれど、確かにあのとき交わってしまった人生の、その後を思う。幸せに過ごしているだろうかと。
同じ人を「おとうさん」と呼んでいた、ただその一点において、私たちの人生は交差した。
きっと、私より幼かったはず。
「おとうさん」が突然来なくなって、ショックを受けただろう。どうやってその衝撃と悲しみに向き合ったのだろうか。
それとも、「やっと来なくなった」と清々していただろうか。
あやふやな記憶の中で、彼あるいは彼女が書いた父への手紙が浮かび上がる。
「おとうさん いつもありがとう」