角田光代『八日目の蝉』

映画化で話題となっている角田光代著『八日目の蝉』、一気に読みました。

超ネタバレ。しかも長いです。

※  ※  ※

不倫相手の子ども(生後6ヵ月)を誘拐し、逃亡生活をしながら子育てを続けた希和子と、希和子に誘拐された子ども・恵理菜(希和子は「薫」という名前で呼んでいた)の苦悩を描いた作品。
希和子が恵理菜を誘拐したそのときを描いた0章、希和子の逃亡劇を描いた1章、大学生となった恵理菜の苦悩と誘拐事件の背景に迫る2章、という構成でできています。
スリリングな展開で魅せる前半と、恵理菜の苦悩や事件のあらましが紐解かれていく後半、どちらも読み応えがありました。

あらすじを読んだだけで何とも眉をひそめてしまいそうな作品ではありますが、読み始めるとぐいぐいと引き込まれていきました。
ヒロインである希和子や恵理菜(薫)の経験と自分の経験が重なる部分がいくつかあったので、いわゆる感情移入というか、共感してしまったんです。。

特に前半、行くあてをなくした希和子が「エンジェルホーム」という怪しげな団体に全財産を託してまで身を預けるくだりは参りました。
様々な事情を抱え、身を隠したいと願う女性たちが集まるその団体は、作中でも「カルト」として世間から注目を浴びることにもなるようにちょっと怖さも備えていますが、彼女たちがそこにすがる、その思いに私は何度も肯いてしまいました。
希和子が4千万の貯金がありながら目の前の安定した衣食住に身を委ねたことも。
逃亡する希和子にとって、外部の情報が入らず、すぐに衣食住を用意してくれるホームは魅力的だった。
入所が決まった希和子に、「それでいいよ」と思う自分がいました。
さらに、ホーム幹部らによる「あなたは女か男か」という問いにも、女として生きることに苦しみを覚えたり、疲れた経験のある人には、ドキッとする部分があったんじゃないでしょうか。
少なくとも私は、あの質問に動揺してしまいました。そのまま彼女らの考えに賛同し、ホームに入所してしまいそうな気分でした。

結局希和子たちはホームを抜け出し、小豆島に逃げ延びるんですが、小豆島でしばしの安らぎを得るものの、希和子は逮捕されてしまいます。
そして4歳になっていた恵理菜(薫)は両親の元へ返されます。
しかし、本来の家族に戻っても両親とうまくいきません。
スキャンダラスな事件に、世間は好奇な目で家族を追いまわし、逃亡のような生活を続ける恵理菜一家。
夫の愛人にさらわれた子を母親がすんなり受け入れられるわけもなく、父親は父親で負い目を感じてか距離を置く。
自分が誘拐された後に生まれた妹との間も、簡単にはうまくいかない。
自分の殻に閉じこもったまま、恵理菜は大学生となります。
そんなある日、恵理菜の前に千草という女性が現れます。
かつてエンジェルホームで一緒に時を過ごした女性でした。彼女のことを恵理菜は覚えていませんが、彼女とともにエンジェルホームのことや誘拐事件の背景を知ることで、恵理菜は自分自身を取り戻していきます。
強く共感したのは前半でしたが、ボロボロ泣いたのは後半でした。
二十歳過ぎの、屈折した人生を歩んできた子どもでも大人でもない一人の女性の葛藤に、胸を鷲掴みにされました。

読み終わった後で、この作品の感想をいくつか読んでみたのですが、「幼児を誘拐する」という点を許容できるか否かで、この作品に対する好き嫌いが分かれてしまうようです。
私はその点を無視したというか、意識しなかったというか、それ以上に作中に登場する女性たちの生き方や心情に寄り添ってしまいました。
女性に対して、作者は優しい視線を注いでいるように感じました。特に罪悪感を背負って生きる人々へのまなざしです。
犯罪を美化するとかいうのではなく、そういう人々の存在を認めるという許容が、この作品にはありました。それが嬉しかったです。
ただ、他の女性キャラに比べ、恵理菜の母親である恵津子の描写がきつかったのが気になりました。
この小説があくまでも希和子や恵理菜視点だから彼女のヒステリックさが際立っていたのですが、夫の不倫で苦しんだ女性を知っているので、彼女の言動は読んでいてしんどい部分もありました。
だから、恵津子にもなにか救いを与えてほしい、なんて思いました。
ラストで恵理菜が彼女と共に生きていくと決断し、やっと恵津子の未来も見えたようでホッとしましたが。。

自分を肯定するために誰かを悪とする。

それぞれが誰かを悪者にし、必死に自分の人生を守ろうとしていました。
でも、重要なのは「誰が悪いのか」ではなく、そうやって誰かを傷付けなければ私たちは生きていけない、ということ。
私は女を弄んだ恵理菜の父親や愛人の岸田にはむかつきますが、むかつくだけで、彼らを正面から責めることはできません。
希和子にきつい言葉を浴びせ続けた恵津子だって、恵理菜を誘拐した希和子だって。
私も彼らのように、誰かを傷付けて生きています。これからも、そうでしょう。
傷付けないように気をつけたって、傷は見えないところにできている。

一つの事件がたくさんの悲劇を生みましたが、そこで人生が終わった人はいなくて、みな生きていかなくてはいけなくて、最後に二十歳過ぎの恵理菜が希望を持って生きていくことを決めたことは、本当に救いでした。

そして、恵理菜に生きる道を示した千草の存在はとても重要だと思いました。
うまく言えないけど、男性と交わりがないままに女性性を保つ彼女の存在は、意味があるのではないかと。
2月に『愛する人』という映画を見ました(感想はこちら)。これも母子関係を描いた作品で、そのときに「女であること=母であること」なのかとぼんやり感じました。
それと同じ感触が、千草が恵理菜のお腹に触れたときに思い出されました。
自分の中にある母性について、思わずにはいられませんでした。
独身で子どももいないせいか、その「母性」とやらもつかめずに、ただ戸惑うばかりなんですが。

※  ※  ※

感じることは人それぞれではありましょうが、エンタメ小説としても十分楽しめます。
この前に町田康の『告白』を読んだのですが、言葉の魅力で推し進める町田作品と、平易な文章とドラマチックなストーリーで引っ張るこの作品と、小説にもいろいろあるなあと改めて思ったのでした。

※追記(2013年1月)
『八日目の蝉』は原作を読んだ後に映画も鑑賞していますので、よろしければ映画の感想もどうぞ。こちら
大したことは書いていませんが。。。

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